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2024-09-18
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短篇1
短篇2
短篇3
短篇4
中篇1
中篇2
中篇3
中篇4
长篇
对比

短篇1

原文

北原健二様

RST 法律事務所の田中良平と申します。

昨日、当事務所の「無料法律相談会」にメ-ルにてお申し込みいただきましたが、ご予約は電話のみとさせていただいております。お手数をおかけいたしますが、再度お電話にてお申し込みくださいますようお願いいたします。その際、ご相談内容についての簡単な質問をさせていただきますのでご了承ください。

なお、平日夜の時間帯は大変込み合いますので、お早めにお申し込みくださいますようお願いいたします。

RST法律事務所 田中良平

電話:031-234-5544(平日10~17時)

メ-ルアドレス

@rst-houritsu.co.jp

ホ一ムペ :http://www.rst-houritsu.net/consult/html

译文

北原健二先生,

我是RST法律事务所的田中良平。

昨天您通过邮件向我们事务所的“免费法律咨询会”进行了预约,但预约仅限通过电话进行。给您带来不便,我们深表歉意,恳请您再次通过电话进行预约。届时我们将对您的咨询内容进行简单的提问,请您谅解。 另外,平日晚上的时段非常繁忙,因此请您尽早进行预约 。 RST法律事务所 田中良平

电话:031-234-5544(工作日10点至17点)

电子邮件地址

@rst-houritsu.co.jp

主页:

http://www.rst-houritsu.net/consult/html

短篇2

原文

井上ひさし(注 1)さんが、「エッセイとはすなわち、自慢話である」といったことを書いていらしたのを、以前読んだことがありますが、私はその文を-読した瞬間、「ああっ!」と叫んで赤面(注 2)したのでした。

エッセイ=自慢、とはまさにその通り。エッセイを書く仕事をしている私は、心のどこかでそのことを 感じつつ、気付かない努力をしていた気がする。

しかしそのようにズバリ言われると、「私は今まで、自慢話によって、ロを糊して(注 3)きたのだなあ」ということが明確に理解できるのです。

(酒井順子『黒いマナ-』による)

(注1)井上ひさし:日本の小説家

(注 2)赤面する:顏が赤くなる

(注 3)口を糊する:ここでは、生計を立てる

译文

我曾经读到过井上ひさし(注1)先生写的一句话:“所谓随笔,实际上就是自夸。”读到这句话的瞬间,我不禁“啊!”地叫了出来,感到脸红(注2)。随笔=自夸,这确实没错。作为一个从事写作随笔工作的人,我内心深处可能一直都有这种感觉,却在努力不去意识到它。

但是,当这样直截了当地被指出时,我清楚地意识到,“直到现在,我确实是通过讲述自夸的事情来谋生(注3)的啊。”

(摘自酒井顺子《黑色的魔力》)

(注1)井上ひさし:日本小说家

(注2)赤面する:脸变红

(注3)口を糊する:在这里指的是谋生

短篇3

原文

人間の社会的な日常生活は、無数の暗黙の約束を相互に共有することで成り立っています。暗然というのは、そうした約束が明瞭に意識されたり、どこかにはっきり書かれているわけではないということです。習慣化し、なかば無意識的に守られている社会的な約束事の海に、共に浸かっているから、われわれはこの世界の中に安心して毎日生きていられるのであり、これから何が起きるのか、自分はどう行動したらよいのか、いちいち思い悩まずにいられるわけです。

(著者代表森亘『異文化への理解』による)

译文

人类的社会日常生活是通过共享无数的默契约定而成立的。所谓“默契”,是指这些约定并不是被明确意识到的,也不是被清楚地写在某个地方的。由于我们沉浸在习惯化且半无意识地遵守的社会约定的海洋中,因此我们能够在这个世界中安心地生活每一天,不必时刻焦虑接下来会发生什么,以及自己应该如何行动。

(摘自作者代表森亘《对异文化的理解》)

短篇4

原文

白色度というのは物理的な指標であって感受性の指標ではない。したがって白色度が高いというだけでは白は印象づけられないのである。咲き乱れる花々の印象は真っ白でも、その背後にコピ-用紙程度の紙を置いてみると、花そのものの白さは紙の白さほどではないことに気が付く。花弁(注 1)は淡い色を含み水分をたたえた(注 2)重たい白である。しかし咲き誇る花々が僕らの心に届けてくる白は鮮烈に白い。

(原研哉『白(しろ)』による)

(注 1)花弁:花びら

(注 2)たたえる:ここでは、含む

译文

白色度是一个物理指标,并非感受性的指标。因此,仅仅白色度高并不意味着能够给人留下白色的印象。即使盛开的花朵给人的印象是纯白色,但若在其背后放置一张类似复印纸的纸张进行对比,就会发现花朵本身的白色并不如纸张那样白。花瓣(注 1)含有淡淡的色彩并带有水分,是一种沉重的白色。然而,盛开的花朵传递给我们的白色是鲜明而洁白的。

(摘自原研哉《白》)

(注 1)花弁:花瓣

(注 2)たたえる:在这里指的是含有

中篇1

原文

市場の製品のほとんどに何らかのマ-クが付いています。それに気バく人は少数であり,その意味を知るうとする人は更に少数でしょう。見方によればこれは①市場の健全さの表れです。製品が満足なもので取引がスム-ズなら問題は起こらないでしょう。しかし、中には使用者に損害を与えたり危険にさらしたりする製品もあるのが現実です。 成熟した社会では、公共の利益に反する製品を市場から排除するために様々な仕組みと手段が使われていますが、製品に付けられている「適合マ-ク」もその-つです。これは製品が何らかの基準に適合していることの証明であり、製品の供給者から購入者及び使用者に情報を伝える手段です。適合マ-クは、業者間の取引における要件として、また、消費者の購入判断を助ける手段として古くから使われてきましたが、それらは主に地域社会のツ-ルであり、意味や使い方は地域社会のル-ルでした。

この事情は 1980 年代に一変します。市場のグロ-バル化により、見知らぬマ-クを付けた外国製品が各国の市場に溢れたからです。(中略)

適合マ-クが②本来の機能を果たすには、そのマ-クが多数の人々に認知され、意味が正しく理解されていることが必要です。また、マ-クが伝える情報の信頼性を支える適合性評価が適切に行われたことの証拠が必要です。そこで、IS0(国際標準化機構)は 1996 年に適合マ-クに関する検討グル-プを設置し、問題の分析と解決策の検討を開始しました。

(田中正躬監修·編著『氾濫するマ-ク-多様化する認証』による)

译文

市场上大多数产品都带有某种标记。注意到这些标记的人很少,而试图了解其含义的人则更少。从某种角度来看,这反映了市场的健全性。如果产品令人满意且交易顺畅,那么问题就不会发生。然而,现实中确实存在一些可能对用户造成损害或带来危险的产品。

在成熟的社会中,为了排除对公共利益有害的产品,使用了各种机制和手段。而产品上所附的“合格标记”也是其中之一。这是产品符合某些标准的证明,是向产品供应者、购买者及使用者传递信息的手段。合格标记长期以来被用作行业间交易的要求,以及帮助消费者做出购买决策的工具,它们主要是地区社会的工具,其意义和使用方式是地区社会的规则。

这种情况在1980年代发生了变化。随着市场的全球化,带有陌生标记的外国产品充斥了各国市场。(省略部分) 为了使合格标记发挥其②应有的功能,标记必须被多数人认知,并且其含义被正确理解。此外,还需要证明标记所传达信息的可信度,即进行了适当的合格性评估。因此,国际标准化组织(ISO)在1996年成立了关于合格标记的研究小组,开始对问题进行分析和解决方案的探讨。

(摘自田中正躬监修·编著《泛滥的标记-多样化的认证》)

中篇2

原文

以下は、ある日本企業の経営者が書いた文章である。

現状維持でいい。そう思った途端、進歩は止まる。外の世界では、絶え間ない進化と発展が続いている。何もせずに同じところにとどまっているのは、じつは最大のリスクなのである。

この国にもう、安全、安心、安定はない。自分は人生をどうしたいのか、会社をどう変えたいのか、この国をどうすべきか……-人ひとりが日本の置かれた現実を直視しながら、志高く毎日を真劍に生きないかぎり、未来も変わらない。

そう言うと多くの日本人は反射的に、次のように思うかもしれない。

(中路) 「どうすればいいか、もっと具体的に教えてほ しい」

とりあえず「見本」のようなものがないと、何をやったらよいのか、見当がつかないのだるう。

しかし、それそれが置かれた状況によって、すべきことが異なるのは当然。ある人にとってはプラスのことが、別の入にとってはマイナスにつながることもあるかもしれない。

そもそも私は、ノウハウ本なるものをまったく價用していない。そこに書いてあるのは、過去の成功法則でしかない。それをもとに時代に合致した新しい法則を考えるというのであればまだよいが、過去の成功例をそっくり踏襲して、うまくいくはずがない。

いずれにせよ、情報が瞬時に世界を駆け巡るグロ-バル時代では、そうした成功法則は、あっという間に陳腐化(注 1)してしまう。

ただし、時代が変化しても普通的に通用する「考え方」というものなら、あるかもしれない。もちるんそれにしても、世の趨勢(注 2)に影響されないことはない。しかし自らの視点があるかないかで、目の前の風景はまったく変わってくる。

(柳井正『現実を視よ』による)

(注 1)陳腐化する:ここでは、古くなる

(注 2)趨勢:動向

译文

以下是一位日本企业家所写的文章。

只要满足于现状,进步就会停止。外面的世界正经历着不断的进化和发展。什么都不做,只是停留在原地,实际上是最高的风险。在这个国家,已经没有所谓的安全、安心和稳定了。每个人都必须直视日本所处的现实,怀有远大的志向,认真地度过每一天,否则未来也不会改变。

当这样说时,许多日本人可能会本能地想:(中路) "请更具体地告诉我应该怎么做。"如果没有一个"榜样"之类的东西,他们可能不知道该做什么。

然而,根据每个人所处的情况,应该做的事情自然是不同的。对某人来说是正面的事情,对另一个人可能就是负面的。我本人根本不重视所谓的"成功手册"这类书籍。书里写的不过是过去的成功法则。如果以此为基础去思考适应时代的新法则,那还说得过去,但如果只是简单模仿过去的成功案例,那是不可能成功的。

无论如何,在信息瞬间传遍全球的时代,这样的成功法则很快就会变得过时。

尽管如此,即使时代在变化,可能也存在普遍适用的“思维方式”。当然,即使如此,它也不可能不受世界趋势的影响。但是,是否拥有自己的视角,会让眼前的风景完全不同。

(摘自柳井正《看清楚现实》)

(注 1)陈腐化:在这里指的是变得过时

(注 2)趨勢:趋势

中篇3

原文

ぼくらは、自由という言葉にある重さを感じる。自由と勝手とは似て非なるもので、自由を与えられると、その尊さ故にどう扱っていいかと緊張するのである。そのように教えられたわけではないのだが、その解釈する感性が少なくとも備わっていたということだろう。

日常の仕事のことでもいい、ちよっと思い返すと、①それが実感できる。

②自由におやり下さいと言われると、無邪気に、あるいは無責任に、これは楽だと思えるだろうか。

自由におやり下さいの自由は、あなたの思うままお好きな世界を構築して結構ですという、全幅(注 1)の信頼や神の如き好意ではないのである。

もっとつき放している。お手並 (注 2)拝見という底意地の悪さもある。だから、言われた側の本心としては、自由にやらせていただけるのですかと、感動のリアクション (注 3)を示しながら、実は大して期待していないな、要するにあてにされていないなと思ったりするのである。

それもこれも、自由という言葉の持つ重さと、それを使いこなす困難さを知っているからである。だから、ぼくらは若い時、自由に書いて下さい、自由に解釈して下さい、自由に生きて下さいと言われると、捨てられたような戦慄を覚えた(注 4)ものである。

自由に善玉、制約は悪玉だと伝えられているが、制約を示された方が人は安心して生きられるとこるもあるのである。

(中略)ぼくは、自由を理解し、自由を享受し、自由を主張するためには、無免許であってはならないと思っている。少なくとも許されることと、許されないことを判別が可能な人だけに交付されるべきなのである。

(阿久悠「清らかな厭世-言葉を失くした日本人」による)

(注 1)全幅:最大限

(注 2)手並:技量

(注 3)リアクション:反応

(注 4)戦慄を覚える:ここでは、ひどく恐ろしいと感じる

译文

我们感到“自由”这个词承载着重大的意义。自由与任性虽然相似,实则不同,当我们被赋予自由时,会因它的尊贵而感到紧张,不知如何是好。虽然我们并没有被这样教导,但至少我们具备了理解这一点的感性。

即使是日常的工作,稍加思考,①我们也能体会到这一点。

②当被告知“请自由地做吧”,我们可能会天真地或不负责任地认为这是轻松的。然而,“请自由地做吧”并不是说你可以随心所欲地构建你喜欢的世界,这不是一种全面的信任或神一样的善意。

它更像是一种放任。其中还带有“让我看看你的本事”这样一种恶意。因此,被告诉的一方内心可能会表现出感动的反应,但实际上并不抱有太大期待,感觉并没有被真正依靠。

这一切都是因为我们知道自由这个词的重量,以及掌握它的困难。因此,当我们年轻时,被告知“自由地写作”、“自由地解释”、“自由地生活”,我们会感到一种被抛弃的恐惧。

虽然人们被告知自由是好的,约束是坏的,但实际上,在某些情况下,有了约束人们才能安心地生活。

(中略)我认为,要理解自由、享受自由、主张自由,一个人不能是无照驾驶。至少,只有那些能够区分什么是可以被允许的,什么是不可以被允许的人,才应该被授予自由。

(摘自阿久悠《清纯的厌世-失去言语的日本人》)

中篇4

原文

アジアであれヨ-ロッパであれ、あるいは、三日であれ、三カ月であれ、旅から帰って成田空港(注 1)に着く。(中略)

私はいつもバスではなくて列車で家まで帰る。

都心に向かう列車には、旅から帰ってきた人と、これから旅する人たちが乗っている。話している人たちがいても、不思議に静かだ。帰る人の疲れと、旅する人の緊張が混ざり合ったような、ほかの路線ではなかなか味わえない静けさである。

列車がトンネルを出ると、私は窓の外の景色を見る。空港からしばらくは、田園風景が続く。彼方まで続く田んぼは、季節によって一面の緑だったり茶色だったり、はられた水が空を映して青かったりする。山々が、遠くに見えたり近くに迫ってきたりする。冬枯れの景色でも、緑濃い初夏でも、自然の色彩が非常にやわらかいことに毎回あらためて気づかされる。そうして、帰ってきたなあと感じ入る。

アジアにもヨ-ロッパにもそれ以外のどこにでも、豊かではなかったりする自然がある。田舎を旅すれば、むせかえるような(注 2)緑のなかを歩くことになる。見慣れた田んぼとそっくりな光景を見ることもある。葉の落ちた木々が針のような枝を空に突き刺す景色に見とれることもある。緑の多い町だ、とか、水墨画(注 3)みたいだ、とか、その程度の感想は抱くが、その色彩について特別何も思わない。

帰ってきて、窓から景色を見て思うのだ。この国の色彩は本当にやわらかい、と。木の緑も、四季(注 4)に即した山の色も、川も空も。旅先で見てきた木々や空や海といったものが、なんと強烈な色を放っていたのかとこのときになって気づく。

窓の外に緑が少なくなって、次第に家やビルが増えてくる。都心が近づくにつれ、どんどん建物や看板が増えてくる。さっきより「ああ、帰ってきた」と感じが膨らむ。都心の、空の狭い、ごたついた(注 5)風景をきれいだと思ったことは一度もないけれど、でも、帰ってくると毎回近しく(注 6)感じる。好きとか嫌いではなくて、私に含まれているかのような近しさを感じるのだ。

先だって、成田空港まで人を迎えにいった。旅のにおいをまだ濃厚に漂わせている人を到着ロビーで迎え、一緒に列車に乗った。旅の話を聞きながら、窓の外を眺めていて、ちょっとびっくりした。旅から帰って見る景色とぜんぜん違う。退屈な、見るべきところもない田園風景が広がっているのである。そうか、旅のあとじゃないと、ただの日常の光景なのか。

都心が近づいてくる。窓の外に私が見ている光景と、旅から帰った人が見ている景色は、まったく違うんだなあと感じた。

旅というのは、空港に着いたときに終わるのではなくて、周囲の景色が、わざわざ目を凝らすこともない日常に溶け込んだときに終わるのだと知った。

(角田光代『トランクルーム』2012年3月号による)

(注1)成田空港:日本の国際空港

(注 2)むせかえるような:ここでは、圧倒されるような

(注 3)水墨画:墨を使って、白黒の濃淡で描かれた絵

(注 4)四季:春、夏、秋、冬の四つの季節

(注 5)ごたついた:ここでは、雑然とした、落ち着かない様子

(注 6)近しく:ここでは、親しみや馴染みを感じる様子

(注 4)四季に即する:ここでは、四季によって変わる

(注 5)ごたつく:ごちゃごちゃする

(注 6)近しい:ここでは、心理的に近い

译文

无论是亚洲还是欧洲,无论是三天还是三个月,旅行结束后到达成田机场(注 1)。(中略)

我总是选择乘火车而不是巴士回家。

开往市中心的火车上,既有刚旅行回来的人,也有即将出发旅行的人。即使有人在交谈,车厢里却出奇地安静。这是一种混合了归家人的疲惫和即将旅行者的紧张的独特宁静,是在其他线路难以体验到的。

当火车驶出隧道,我会看向窗外的景色。从机场开始的一段路,田园风光连绵不断。稻田随着季节变化,时而是满眼的绿色,时而是茶色,被水覆盖的田地反射着天空呈现出蓝色。山峦时而在远处,时而在近旁。无论是冬日的枯黄还是初夏的浓绿,自然的色彩总是那么柔和,每次都会让我再次意识到这一点。于是,我感到“回来了”。

亚洲也好,欧洲也好,其他任何地方也好,都有不那么富饶的自然。在乡下游览时,你可能会被浓密的绿色淹没。有时也会看到与熟悉的稻田极为相似的景象。有时,你会对落叶后的树木那像针一样的枝条刺向天空的景色感到着迷。你可能会有“这里绿树成荫”或者“像水墨画一样”的感受,但对这些色彩并没有特别的想法。

回到家,透过窗户看风景时,我会想,这个国家的色彩真的很柔和。树木的绿色,四季变化的山色,河流和天空。直到这时,我才意识到旅途中所见的树木、天空和大海,它们散发出多么强烈的色彩。

窗外的绿色逐渐减少,房屋和大楼逐渐增多。随着接近市中心,建筑物和广告牌越来越多。与刚才相比,“啊,我回来了”的感觉更加强烈。虽然我从未觉得市中心那狭窄、杂乱的风景美丽,但每次回来都会感到一种亲近。不是喜欢或讨厌,而是感到它像是我身体的一部分那样的亲近。

不久前,我去成田机场接人。在到达大厅迎接了还带着旅行气息的人,我们一起上了火车。一边听着旅行的故事,一边眺望窗外,我有点惊讶。旅行回来后看到的景色与之前完全不同。那里展开的是单调的田园风光,没有值得一看的地方。原来,旅行之后,那些不过是日常的风景。

市中心越来越近。窗外我所看到的景色与旅行归来的人所看到的景色,完全不同。

我意识到,旅行并不是在到达机场时结束,而是在周围的景色融入无需刻意观察的日常时结束。

(摘自角田光代《行李间》2012年3月号)

(注1)成田机场:日本的国际机场

(注2)むせかえるような:在这里,指的是令人感到压抑的

(注3)水墨画:用墨水绘制,以黑白浓淡表现的画

(注4)四季:春、夏、秋、冬四个季节

(注5)ごたついた:在这里,指的是杂乱无章的、不宁静的

(注6)近しく:在这里,指的是感到亲切或熟悉

(注 4)四季に即する:在这里指的是随着四季的变化而变化

(注 5)ごたつく:在这里指的是杂乱无章

(注 6)近しい:在这里指的是心理上感到亲近

长篇

原文

現代は、「発明は必要の母」となった時代である。あるものが発明されると、企業はさまざまな機能をあたかも必要不可欠とばかり付加して製品を売り込もうとし、人々はその機能がいかにも前から必要であったかのごとく錯覚して購入するからだ。発明が欲望を刺激し、欲望が人々を消費に走らせ、消費が新たな必要性という幻想を生み出すのである。その結果、本来必要でなかったものにまで飢餓感を蘇らせ、無限に便利さを追い求めるという悪循環に陥る。このように企業の戦略と人々の欲望が結びついて、ひたすら「幸福」を求めようとする機構が①現代という時代を象徴している。ゲ-タがその典型である。

そんな時代に「幸福」を考えるとすれば、この欲望の連鎖をどこかで断ち切るより仕方がない。いや、発明というような新技術には目を向けず、むしろそれらと距離を置いて積極的に時代遅れになるということに「幸福」は求められるのではないか。テレビは見ずに音楽を聴き、パソコンはインターネットに手を出さずリ-プロ機能だけにする。クルマは持たずに公共交通機関のみを使う。ゲ-タイは家族にしか番号を知らせない。欲望を他者との関係に求めず、自分の内部からの声を汲み上げ、何かを創り出すことのみに時間を使う、そんな生活にこそ「幸福」がありそうな気がする。

もちろん、そんな修道僧(注 1)のような生き方は現代では②不可能である。電子メールでは誰とでも簡単につながって対話できる。インターネットで買い物をし、ブログ(注 2)で自分の意見が自由に出せるのは新しいテクノロジ-があってこそである。テレビからの情報は日常会話に欠かせないし、電話での長話も楽しい。クルマがあればいつでも好きな場所に行ける。パソコンもテレビもケ-タイもクルマもない生活は考えられず、これら文明の利器(注 3)は私たちを誘引(注 4)して止まないのだ。③そこに「幸福」はないのだと実は誰もが知っていても、便利さと効率性を棄てきれないのも私たちなのである。

とすると、どこかで妥協することを考えればならない。断ち切るとこると利用するとこるを使い分けるのである。私のやり方は比較的単純で、不要な機器を持たない、持っていても時間を区切るか場所を限るかして欲望を抑制することだ。(中略)そのようにして生み出された時間を自分のために使うのだ。それが私の「幸福」の接近法なのである。

(池内了「生きのびるための科学』による)

译文

现代是一个“发明是需求之母”的时代。每当有新发明出现,企业就会添加各种功能,仿佛它们是不可或缺的,以此来推销产品,而人们也会错觉这些功能仿佛从前就是必需的。发明激发了欲望,欲望驱使人们消费,消费又创造出新的需求幻想。结果,人们甚至对原本并不需要的东西产生了渴望,陷入了无限追求便利性的恶性循环。在这种情况下,企业的战略和人们的欲望相互作用,形成了一个不断追求“幸福”的机制,这正是①现代这个时代的特点。手机就是这种现象的典型代表。

在这样的时代思考“幸福”,我们必须在某个地方切断这种欲望的连锁。不,或许我们应该不去关注像发明这样的新技术,而是主动与它们保持距离,积极地选择成为一个时代落伍者,这样“幸福”才得以寻求。不看电视,而是听音乐,不使用电脑的互联网功能,只用其播放功能。不拥有汽车,只使用公共交通工具。手机只让家人知道号码。不寻求他人的关系来满足欲望,而是倾听自己内心的声音,只用时间去创造事物,这样的生活似乎才蕴含着“幸福”。

当然,这样的修道士(注 1)般的生活方式在现代是不可能的。电子邮件让人们可以轻松与任何人连接并对话。通过互联网购物,通过博客(Blog)(注 2)自由表达意见,这些都是因为有了新的技术。电视提供的信息已成为日常对话不可或缺的一部分,电话长聊也很愉快。有了汽车,我们可以随时去任何想去的地方。没有电脑、电视、手机和汽车的生活是难以想象的,这些文明的利器不断地吸引着我们。③虽然我们都知道那里没有“幸福”,但我们却无法放弃便利性和效率性。

那么,我们必须在某个地方做出妥协。我们需要学会区分何时该断绝,何时该利用。我的方法相对简单,就是不拥有不必要的设备,即使拥有,也要限制使用时间或地点以抑制欲望。(中略)这样创造出来的时间,我将用于自己的目的。这就是我接近“幸福”的方法。

(摘自池内了《为了生存的科学》)

(注 1)修道士:修行中的僧侣 (注 2)博客:日记形式的个人网站 (注 3)利器:便利的工具 (注 4)不断吸引:这里指的是持续不断地吸引着我们

对比

原文

A

子どもたちが社会全般のあらゆる分野に関心を向けようとするとき、まんがはその垣根を低くしてくれる。これは、まんがというメディアの強みだと思う。気軽に手にしたマンガをきっかけに、知的好奇心が刺激されたりすることもあるだるう。正味 15分たらずの休み時間、まんがの世界に入り込んでいた子どもたちの横顔を思い出す。まんがならではの魅力があることも確かだ。魅力は堪能してほしいし、強みは学校図書館活性化に利用したい。

まだ人生の入りロともいえる小学生。彼らを多様なメディアの魅力に出会わせたいという思いと、学校図書館が彼らにとって魅力的な場所であってほしいという思いがある。だから小学校でも(制約は多くても)選書のアンテナはマンガにもはっておいてほしいと、職を離れたいまも思っ ているのである。

(若葉千佳子『子供の本棚」2007年12月号による)

B

マンガを他の本と区別して考える方向は間違っているといえる。マンガを図書館に置くことによって、子どもは勉強しなくなるという神話から決別すべきである。学校図書館としては、絵本や写真集、童話や物語などの本の読み方を教えるように、マンガやアニメについてもその見方や特性を教えなくてはならないし、そのことを通て適切な学習資料を適切な場面で活用するようになると思われる。(中略)

学校図書館の担当者は、図書購入に際して、直接学習に役立つ図書だけを購入するのでなく、長い目で見て子どもたちの学習や人格形成に役立つ図書も購入するゆとりを持つことが大切である。

(渡部康夫「现代の図書館」第 192 号による)

(注)選書のアンテナをにはる:ここでは、本を選ぶためにに関心を向ける

译文 A

当孩子们想要对社会各个领域的全貌产生兴趣时,漫画能够降低这些领域的门槛。我认为这是漫画这种媒体的优势。孩子们可能会因为随手拿起的一本漫画而激发起求知的好奇心。记得在短短的休息时间里,孩子们沉浸在漫画世界中的侧脸。漫画确实有其独特的魅力,我希望他们能享受这种魅力,并且利用漫画的优势来激活学校图书馆。 小学生活还处于人生的起点。我希望他们能接触到各种媒体的魅力,也希望学校图书馆能成为他们觉得有吸引力的地方。

因此,即使在小学,我也希望(尽管有很多限制)在选择书籍时,能够将关注点也放在漫画上,即使我已经离开了教师的岗位,这个想法依然没有改变。

B

将漫画与其他书籍区别对待的方向是错误的。我们必须摆脱那种认为把漫画放在图书馆里会导致孩子们不爱学习的迷信。学校图书馆应该像教授绘本、摄影集、童话和故事书的阅读方法一样,教授漫画和动画的观看方式和特点,通过这种方式,孩子们将学会如何在适当的场合使用适当的学习资料。(中略)

学校图书馆的负责人在购买图书时,不应该只购买直接有助于学习的书籍,而应该有余裕去购买那些从长远来看有助于孩子们学习和人格发展的书籍。

(注)选择书籍时将天线对准~:在这里指的是在选择书籍时对~给予关注。

本文作者:yowayimono

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