原文
(1) ファッションなど、流行は模倣を前提にしている。真似られなければ、ファッションなど成立しない。ミニスカートをデザインしたとしても、特定のデザイナーのものだけが売れるのでは、流行にはならない。多くの者が模倣してはじめて流行は成立するため、ファッションなどには、模倣を誘発させようとする意図が最初から織り込まれている。
译文
(1) 时尚等流行趋势本质上是以模仿为基础的。如果没有人模仿,时尚就无法成立。即便设计了迷你裙,如果只有某个特定设计师的作品热卖,那也无法形成流行趋势。只有当许多人开始模仿时,流行趋势才能成立,因此在时尚界,促使模仿的意图从一开始就已被编织其中。
原文
(2).下は、書店から送られてきたメールの内容である。
吉川美知子様
この度は、ブックネットA書店にて、以下の商品をご注文いただき誠にありがとうございます。
注文番号:731-5777427-2785468
ご注文商品:『S 先生との対話』
在庫の確認をいたしましたところ、ご注文いただきましたこの商品は、絶版(注)になっていることがわかりました。 つきましては、誠に勝手ではございますが、すでにクレジットカードでお支払いいただいた上記ご注文の代金を全額お返しするよう処理させていただきます。
何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。
なお、この件につきましてご不明な点がございましたら、以下のアドレス宛にお問い合わせくださいますようお願いいたします。
■ブックネットA書店■
注文管理担当
武田 博
お問い合わせメールアドレス
@bukkunetto a-syoten.jp(注)絶版:一度発行した書籍の印刷·販売を中止すること
译文
(2).以下是书店发送的邮件内容。
吉川美知子女士,
非常感谢您在Booknet A书店订购以下商品。
订单号: 731-5777427-2785468
订购商品: 《与S先生的对话》
我们确认了库存情况,发现您所订购的这本书籍已经绝版(注释)。
因此,虽然非常抱歉,我们将处理全额退款到您已经用信用卡支付的上述订单。
请您理解并接受我们的处理。
如果您对此有任何疑问,请通过以下邮箱地址与我们联系。
■Booknet A书店■
订单管理负责人
武田 博
咨询邮箱地址: tyuumon@bukkunetto a-syoten.jp
(注释)绝版:指已经发行的书籍停止印刷和销售的情况。
原文
(3) 「自分は間違っている」と思うことから始まる怒りは、妥当な怒りです。少しも後ろめたくありません。
むしろ、「間違ってない」と思いながら怒りをごまかしてしまったときのほうが後味は悪いのです。「なんで怒らなかったんだろう」という後悔は、惨めな気持ちになって長く続きます。
怒りを抑えてばかりいると、この惨めな気持ちにも慣れてしまいます。敗北感に慣らされてしまうのです。これがいちばん怖いと思っています。
译文
(3) 从“我可能错了”开始的愤怒是合理的愤怒,一点也不应该感到内疚。
相反,当你在认为自己没错而掩饰愤怒时,事后的感觉会更糟糕。“为什么我没有生气呢?”这样的后悔会让人感到痛苦,并且持续很长时间。
如果你总是压抑愤怒,最终也会习惯这种痛苦的感觉。你会变得习惯于失败感。我认为这是最可怕的。
原文
(4).専門家・研究者やマスコミには、ごみ問題や斜面林や里山(注)などの破壊といった身近な環境問題を注視せず、いくつかの代表的な環境問題ばかりを取り扱う傾向が強い。マスコミなどが注目する環境問題に取り組んでいることが、専門家の専門性を語示し、専門家としてのステータスを維持させることにつながっているかのように見える。環境問題が話題性の高いものに特化されることは、日常的な環境問題が大部分の専門家・研究者から無視され、放置されることになる。
(御代川貴久夫・関啓子『環境教育を学ぶ人のために』による)
(注)里山(さとやま):人家の近くにあって、人の生活と関係が深い森林や山。
译文
(4).专家、研究者以及媒体往往不关注垃圾问题、山坡森林和里山(注释)等身边的环境破坏问题,而是倾向于只处理一些典型的环境问题。似乎通过关注媒体所关注的环境问题,专家们能够展示自己的专业性,并维持作为专家的地位。当环境问题仅限于那些具有高度话题性的内容时,大部分日常环境问题就会被大多数专家和研究者所忽视和搁置。 (根据御代川贵久夫和关启子的《环境教育为学习者》)
(注释)里山(さとやま):位于人们居住地附近,与人们生活密切相关的森林和山丘。
原文
(1).蝶の雄は、雌の翅の色を目印にして、配偶者たる相手を探す。モンシロチョウの雌の翅の裏の、黄色と紫外線の反応した色---この色を指示する特定の単語をわれわれ人間はもっていない---は、モンシロチョウの雄にとっては、モンシロチョウの雌であることの記号である。(中略)
さて、この記号は光による記号である。光は直進するから、目によってそれを見た雄は、それに向かって直進すれば、雌のところにたどり着ける。煙のようにそこらじゅうに拡散するものを記号に使う場合より、よほど簡単であるけれど、それに不便な点もある。光が直進するからには、その光の進路を、1枚の葉がさえぎっても、もう雌の記号は見えなくなってしまう。ということは、雌の存在を見出すことはできないということだ。
これに対処するにはどうしたらよいか? ひらひらと舞いながら、少し上から見たり、ななめから見たりすることだ。 もし蝶が蜂のようにブンとまっすぐ飛んだとしたら、雌をみつけるチャンスはぐっと減ってしまうにちがいない。
それと同時に、翅が雄の記号である蝶にとっては、翅は大きいほうが好ましい。そのため彼らは、「二つ折りのラプラス」になって、航空力学的にもひらひら飛ぶほかはなくなった。けれどそれは、ひらひら飛べば雌が発見できないという要請と、まったく矛盾していなかったのである。
译文
(1).雄蝶以雌蝶翅膀的颜色作为标志来寻找配偶。对于雄性菜粉蝶来说,雌性翅膀背面的黄色和紫外线反应的颜色——我们人类没有特定的词汇来描述这种颜色——是雌性菜粉蝶存在的符号。(省略部分)
这个符号是基于光的。由于光是直线传播的,所以雄蝶通过眼睛看到这个颜色后,直接朝那个方向飞去就能到达雌蝶所在之处。与烟雾那样四处扩散的符号相比,这要简单得多,但也有不便之处。因为光是直线传播的,如果一条光线被一片叶子遮挡,那么雌蝶的标志就看不见了,也就意味着无法发现雌蝶的存在。
那么,该如何应对这种情况呢?雄蝶通过翩翩起舞,从稍微上方或斜角观察。如果雄蝶像蜜蜂那样直线飞行,那么发现雌蝶的机会肯定会大大减少。
同时,对于翅膀作为标志的雄蝶来说,翅膀当然是越大越好。因此,他们不得不采取“二折的拉普拉斯”飞行方式,从航空力学的角度来看,他们也只能这样翩翩起舞。然而,这种飞行方式与他们需要发现雌蝶的需求并不矛盾。
原文
(2).私には、「わからない」と思うことがいくらでもある。そういうことを一つ一つ潰して行くのが人生だと思っているから、やることはいくらでもある。つまりは、人生とは「わからないの迷路」である。だから、そのさまさまに存在する 「わからない」を、まず整理しなければならない。「木を見て森を見ず」とは言うが、「わからないの迷路」に圧倒されているだけの人間は、その逆の、①「森を見て木を見ず」なのである。
巨大なる「わからないの森」は、その実、「わかりうる一本の木」の集大成なのである。だからとりあえず、「わかりうるもの」を探す。手をつけるべきは、「こんなくだらないものの答えが全体像の解明につながるはずはない」と思えるようなところである。
「くだらない」--だから「どうでもいい」と思って放り投げてしまうのは、それを「わかりきっている」と思うからである。つまりそれは、「わかる」のである。「わかる」は「わからない」を解明するためのヒントである。つまりは、( ②)ということである。
とりあえず「わかる」--どうでもいいようなことでも、とりあえず「わかる」と思えるようなことを確保する。それであなたは、「わかっている」のである。なにかが「わかる」になれば、「“わかる”とはどのようなことか」という理解が訪れる。それがつまりは、「方向の発見」である。
译文
(2).对我来说,有很多事情是“不明白”的。我认为人生就是一步步解决这些不明白的事情,因此总有做不完的事情。也就是说,人生就像一个“不明白的迷宫”。因此,首先必须整理那些错综复杂的“不明白”。虽然有“只见树木不见森林”的说法,但那些被“不明白的迷宫”压倒的人,实际上是在“只见森林不见树木”。
巨大的“不明白的森林”实际上是由许多“可能理解的一棵树”组成的。因此,首先应该寻找那些“可能理解”的东西。应该着手的地方,是那些看似“这种无聊问题的答案怎么可能解开整体之谜”的问题。
“无聊的”——因此,如果你认为它“无关紧要”而将其抛诸脑后,那是因为你认为它“已经明白了”。也就是说,“明白”是解开“不明白”的线索。也就是说,(②)是这个意思。
首先“明白”——即使是看似无关紧要的事情,也要确保自己能够认为“至少这一点是明白的”。这样一来,你就“明白了”。一旦有什么东西变得“明白”,你就会获得“明白”是什么的理解。这实际上就是“发现方向”。
原文
(3).書を読むという行為が、人間の成長や知的能力の向上に必須のものであることを、かつての社会は経験法則的に理解していたのではないだろうか。素読(注 1)などは強制的、修養(注 2)的なものではあるが、読書習慣の形成を何よりも重視する教育メソッド(注 3)であったことは確かである。しかし、①私たちの世代はどうであろうか。書物というものが映像や音響メディアなどと単純に比較することを許さない必需品であり、読書は基本的な能力であるという確信をいだいてきたものの、近年の社会経済のあり方によって自信を失いかけていたことは否めないのではなかろうか。
活字以外の表現手段が大きな影響力を持つようになったことを②「時代の流れ」と呼ぶのはいいが、文化の変容があまりにも急激なこと、あるいは一つの有力な文化が別のものに置き換えられることには予測しがたい弊害を伴う。活字にもいろいろあるが、書物に特有の楽しみを与えてくれる本、人々の喜びをもたらしてくれる本、人生の支えになるような本が相対的に少なくなったのは、1980年代の半ばごろからで、書店の棚には情報的な本や、映像文化の書籍化を意識したものばかりが目立つようになった。家庭からはスペースの狭さを言い訳に、本棚が姿を消してしまった。 ちょうどその頃から映像文化や活字文化の本質を考えるメディア論が盛んになったが、今から思えば従来の活字文化が衰弱した場合にどうなるかという洞察力において、いささか欠けるところがなかったろうか。
译文
(3).阅读书籍的行为,曾被认为是人类成长和智力提升所必需的,这一点过去的社会治理是通过经验法则来理解的。素读(注释 1)等方法虽然强制性和修养性较强,但无可否认的是,它们非常重视培养阅读习惯的教育方法(注释 3)。然而,①我们这一代人又是怎样的呢?书籍作为一种无法与影像和声音媒体简单比较的必需品,阅读一直被认为是基本能力,但是近年来社会经济的发展方式让我们对此失去了信心,这难道不是事实吗?
将其他非文字表现手段的巨大影响力称为②“时代的潮流”固然不错,但文化的变迁过于迅速,或者一种有力的文化被另一种取代,都可能带来难以预测的弊端。虽然文字的表现形式多种多样,但给予书籍特有的乐趣、为人们带来喜悦、成为人生支撑的书籍相对减少了,这始于1980年代中期。书店的货架上充斥着信息性书籍和那些受到影像文化影响的书籍,它们的寿命似乎都很短暂。家庭中也以空间狭小为借口,书架逐渐消失了。
恰好在那个时期,关于影像文化和文字文化的本质的媒体论开始盛行,但现在回想起来,对于传统文字文化衰弱后会发生什么的洞察力,难道不是有所欠缺吗?
注释:
(注 1) 素読(そどく):此处指不考虑意义,仅出声朗读。
(注 2) 修養(しゅうよう):此处指修养学问,提升人格。
(注 3) メソッド(method):方法。
原文
そもそも私は、組織内の人間の目標を無理やり一致させる必要はないと思っている。要は、それぞれの目標を達成することが、結果として組織としての目標達成につながればいいのだ。そのために大切なのは、組織の目標と個人の目的に接点を持たせ、双方が最大限の利益を得られるような柔軟性を持った仕組みをつくることである。 ラグビーでいえば、チームの目標はもちろん「勝つこと」である。しかし、チームを構成する選手には、それとは別に、それぞれの目的があるかもしれない。「自分のスキルを向上させたい」「日本代表に入るため」「プロ契約をしてもらうため」 「ただ、好きだから」というように……。
こうした個人の目的を無視し、ただ「勝つ」というチームの目標だけのためにプレーを強要してしまっては、チームから活力が失われてしまうだろう。
(中略) たとえば、職場を選ぶ際に「やりたいことをできるかどうか」「自分の資質や可能性を活かせるかどうか」を第一義(注 1)に考えるのは当然であるが、最近の若い人の中には「仕事がおもしろくないのなら、嫌な仕事をするくらいなら、さっさと別の企業に転職したほうがいい」と考える人間が増えているという。自分に関係のあること以外にはまったく興味を示さず、会社全体としての目標達成よりも個人の目的や利益を優先させる人間も少なくないようだ。こうした傾向について「最近の若い奴は我慢が足りない」とか「自己中心的だ」と結論づけてしまうのは簡単だ。だが、私はむしろこう考える--会社に対する「価値観」やそこに所属するための「目的」が多様化しているのだ、と。つまり、かつてのように組織の中で目標が一元化されなくなったのが「今」という時代なのである。これはよい悪いとか、正しいか正しくないかという以前に、現実なのだ。
であるならば、そうした状況を②嘆いてもしかたがない。むしろ組織にとって重要なのは、彼らをいかに活かしていくかということだろう。「そんな考え方は通用しない」とか「おれの言うことが正しい」と、指導者が旧来(注 2)の価値観を押しつけたりしていては、若い人たちはついてこない。離れていくだけである。結果として組織の力は低下してしまう。
それならば、まずはそれぞれの目的を「許容」してはどうか。そのうえで、「共有」すべきはチームの目標であると全員の意志を統一させ、各自の役割を責任を持って果たさせるのである。そうすれば、個人のモチベーション(注 3)を下げることなく、チームとしての目標達成につながっていくはずである。それは、これからの組織運営に欠かせないことだと思う。
译文
我本人认为,没有必要强行使组织内成员的目标一致。关键在于,只要每个人的目标得到实现,最终能够导致组织目标的实现就可以了。因此,重要的是要创造一个既能让组织目标与个人目的相结合,又能使双方都能获得最大利益的灵活机制。
以橄榄球为例,团队的目标当然是“赢得比赛”。然而,组成团队的球员们可能还有各自不同的目的。“想要提升自己的技能”、“想要进入日本国家队”、“想要获得职业合同”、“仅仅因为喜欢”等等。
如果忽视了这些个人目的,仅仅为了“赢得比赛”的团队目标而强迫球员们比赛,那么团队将会失去活力。 (中略)
例如,在选择工作场所时,考虑“能否做自己想做的事情”、“能否发挥自己的资质和潜力”当然是首要的。但是,最近的年轻人中,有人认为“如果工作不有趣,与其做不喜欢的工作,不如早点转到其他公司”,他们对与自己无关的事情不感兴趣,更倾向于优先考虑个人目的和利益,而不是公司整体的目标达成。对于这种倾向,很容易得出结论说“现在的年轻人缺乏耐心”或者“太自我中心”。但是,我更倾向于这样想——对公司“价值观”和加入其中的“目的”正在变得多样化。也就是说,这个时代不再是像过去那样组织内部目标一元化。这是现实,而不是好坏或对错的问题。
因此,对于这种状况,哀叹是没有用的。更重要的是,组织应该如何利用这些人才。如果领导者还在坚持旧有的价值观,说“那种想法行不通”或者“我说的才是对的”,年轻人是不会跟随的,只会离开。最终,组织的力量将会下降。 那么,首先应该做的是“容忍”每个人的目的。在此基础上,“共享”的应该是团队的目标,统一大家的意志,并让每个人负责任地完成自己的角色。这样,既不会降低个人的动机,又能使团队目标得以实现。我认为这是未来组织运营不可或缺的。
原文
人間の生存に不可欠なのは衣食住ですが、人間というのは、それだけでは生きていけない生きものです。衣食住に加えて何が必要かというと、それは自尊心です。自尊心というと、高慢さを連想して、悪いイメージを持っている人が多いようです。が、私がここで言う自尊心とは、「自分には生きていくだけの価値がある」と思うこと、極端に書けば、「この世界の中でいくらかの場所を占領し、食べものを食べ、水を飲み、空気を吸って生きていてもかまわないのだ」と思うことです。
そう信じられなくなったとき、私たちは生き続けるために必要な気力を失い、ときには命を絶つことさえあります。 じつは、人間のさまざまな行動は、この自尊心の働きに支配されているのだと考えると、とてもよく理解できます。私たちに一生にわたる自尊心の①基盤を与えてくれるのは、言うまでもなく、幼いときに育ててくれる親や、それにかわる人たちの、無条件の愛情です。幼い子どもにとっては、自分の家族が全世界ですから、そのなかで大切にしてもらえば、自分の価値を信じるのはたやすいことです。しかし、そこで与えられるのは基盤にすぎず、保育園、幼稚園などの集団に入ると、親の愛の上に築いた自尊心はもろくも崩れてしまいます。自分にとっては絶対であった親が、世の中のたくさんの人たちの一人にすぎないのなら、その親に保証してもらった自分の価値も、ちっぽけなものにすぎないことになるからです。
そこから、子ども自身による、自尊心回復のための戦いがはじまります。幼い子どもというのは、無邪気な会話をしているかと思うと、親の持ちものの自慢をしたり、何かを持っていない子をのけ(注 1)ものにしたりといった、「子どもらしくない」と言いたくなるようなふるまいをはじめるものです。しかしこれらは、子どもなりの自尊心回復の手段なのであって、その意味ではきわめて②「子どもらしい」のです。不幸にして家庭の愛情が十分でなかったり、「いい子」でいないと愛してもらえなかったりする子どもたちは、すべてを自分で獲得しないといけませんから、とりわけ競争での勝ち負けにこだわることになりがちです。子どもたちのそんな様子に、大人はつい眉(注 2)をひそめたくなりますが、生きるために自尊心がどれほど必要かを考えれば、無理のないことだと理解できます。
(注 1)のけものにする:仲間はずれにする
(注 2)眉をひそめる:不愉快な気持ちを表す
译文
对于人类生存来说,衣食住是必不可少的,但人类并非仅靠这些就能生存的生物。除了衣食住,还需要什么呢?那就是自尊心。提到自尊心,很多人可能会联想到傲慢,从而产生不好的印象。但是,我在这里所说的自尊心是指“我认为自己有活下去的价值”,极端地说就是,“在这个世界中占据一定的位置,吃食物、喝水、呼吸空气活下去也是可以的”。当人们不再相信这一点时,就会失去生存下去所需的意志力,有时甚至会结束自己的生命。
实际上,人类的各种行为受到自尊心的影响,这一点一旦理解,很多事情就变得很好理解了。给予我们一生自尊心基础的,无疑是小时候抚养我们的父母或替代他们的人的无条件的爱。对于幼小的孩子来说,自己的家庭就是整个世界,因此在其中得到重视,相信自己的价值是很容易的。然而,那里给予的只是基础,一旦进入幼儿园、幼稚园等集体环境,建立在父母爱之上的自尊心就会轻易崩溃。如果自己绝对的父母在世界上不过是许多人中的一个,那么由父母保证的自己的价值也只不过是一件小事。
从那时起,孩子们开始了自己恢复自尊心的战斗。幼小的孩子们有时会进行天真的对话,有时又会炫耀父母的东西,或者排斥没有某些东西的孩子,表现出一些“不像孩子”的行为。然而,这些都是孩子们恢复自尊心的方式,从这个意义上说,它们是非常“孩子气”的。不幸的是,如果家庭的爱不够充分,或者只有成为“好孩子”才能得到爱,孩子们就必须自己去获得一切,因此他们往往特别注重竞争的胜负。看到孩子们这样的表现,大人们往往会不悦地皱眉,但考虑到自尊心对生存有多么重要,就能理解这是无可奈何的事情。
原文
A
企業の採用試験では、必ず志望動機を書いて提出する。もちろん仕事を希望する理由を書くのだが、大切な点が抜けている場合がある。「なぜ、その会社でなければならないのか」が明確に書かれていない場合だ。例えば、出版社への応募書類で、志望動機として「感動させる本が作りたい」としか書かれていなかったら、この人は出版社に入りたいだけで、その出版社に入りたいわけではないと思われてしまうだろう。他社ではなく、どうしてもその会社に入りたいという強い意志を相手に伝えることが重要だ。
そのためには、まずは情報収集が欠かせない。特徴や経営方針を正しく理解したうえで、自分がその会社でどのよな仕事ができるかという視点でまとめていく。そうすれば、なぜその会社なのかが明確な志望動機が書けるだろう。
B
就職試験において、志望動機はどのように書けばいいのか。自分の能力や経験を最大限にアピールすることが重要だと思うかもしれないが、それらを入社後にどのように生かせるかを書かなければ、説得力のある志望動機だとは言えない。
特に、規模や製品、経営者など、企業の特徴のようなホームページを見れば分かる情報を、ただ並べて書くだけでは、意欲は伝わらない。具体的な業務の内容に触れながら、自分の能力や経験と結びつけて説明することが必要だ。業務の内容をよく調べ、その企業で求められている能力や技術を分析して、それらの要求に自分が応じられるということをアピールするべきだ。
译文
A
在企业的招聘考试中,应聘者必须提交一份书面的求职动机。当然,这是为了说明希望工作的理由,但有时会遗漏一个重要的点:“为什么非那个公司不可”。例如,如果在应聘出版社的材料中,求职动机只写着“想要制作能够感动人的书籍”,那么人们可能会认为这个人只是想进入出版社工作,而不是特别想进入那家出版社。传达出一种强烈的意愿,即非该公司不可,这一点非常重要。
因此,首先必须进行信息收集。在正确理解了公司的特点和经营方针之后,从自己能在该公司做什么样的工作的角度来整理思路。这样一来,就能明确地写出为什么是那家公司了。
B
在求职考试中,应该如何书写求职动机呢?可能有人认为重要的是尽可能地展示自己的能力和经验,但如果不在书中说明这些能力或经验如何在入职后发挥作用,那么就不能说这是一个有说服力的求职动机。
特别是,像公司规模、产品、经营者等这些通过公司网站就能了解到的企业特点信息,如果只是简单列举,是无法传达出求职者的热情的。在提及具体业务内容的同时,需要将自己的能力和经验与之联系起来进行说明。必须仔细研究业务内容,分析该公司所要求的能力和技术,并展示自己能够满足这些要求。
本文作者:yowayimono
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