原文
(1).自分の経験や無意識の枠にとらわれていると、想像力はふくらまない。だからその枠を取り除くことが、想像力を鍛えるひとつのポイントになるだろう。とはいえ、いままでの経験や考えによって無意識につくられてしまった枠はだれもがもっていて、それはもうしかたがないものだ。その枠は、人生や経験の中でつくりあげてきたもので、その人の個性や人柄、物差しや基準になるわけだから、枠はあってもいい。ただ、必要なときには意識してそれをはずせることが大切だ。
(注)とらわれる:ここでは、こだわりすぎる
译文
(1).如果被自己的经验和无意识的框架所束缚,想象力就不会扩展。因此,去除这些框架是锻炼想象力的一个关键点。尽管如此,由于以往的经验和思考而无意识中形成的框架,每个人都有,而且这几乎是不可避免的。这些框架是在人生和经历中构建起来的,它们代表了一个人的个性、品格、尺度和标准,所以框架的存在是可以接受的。只是,在必要时能够有意识地摆脱它们是很重要的。
(注)とらわれる:在这里指的是过分固执。
原文
(2).人間の最も根源的な欲求から生まれる住まいとは、そこに住む人々の生活や気候風土の違いがそのままに表れる土着のものでした。世界各地にある土着の住まいを眺めてみると、ときに驚くような表現のものもあり、改めて人間の生活の多様な在り方に気づかされます。それらは現代的価値観からすると確かに前近代的で非合理なものに見えるかもしれません。しかし、私はそこに人々の生きること、住まうことへの欲求の切実さ故の強さと、現代の私達の住環境にはない素朴な豊かさを感じるのです。
(注)土着の:その土地に根ざしている
译文
(2).由人类最根本的欲望所产生的住所,是那些居住在其中的人们的生活方式和气候风土差异的直接体现,它们是扎根于当地(土着の)的东西。当我们观察世界各地的本土住所时,有时会发现令人惊讶的表现形式,这让我们重新意识到人类生活方式的多样性。虽然从现代价值观来看,它们可能确实显得前近代和非理性,但我感受到了那里人们对于生活和居住的强烈欲望,以及一种现代我们的居住环境中所没有的朴素丰富性。
(注)土着の:根植于那片土地的
原文
(3).労働はモノをつくり出すために体に労苦を強いるので、苦しい部分を併せ持っています。ただ、その活動を通じて社会とのつながりを感じることができれば喜びにも転化します(注 2)。そんな喜びの部分を削り取られ、苦役(注 3)だけが残る状態が広がっている現実を、どう食い止めていくかは大きな課題です。喜びを感じられない働き方なのに「働くことは喜びだ!」と建前で押し切ろうとしたり、「働くのが怖い」と背中を向けたりの二者択一でなく、苦しさと喜びのバランスの回復を求めて、働き方の改善を求めていくことが必要です。
(注 1)労苦:ここでは、負担
(注 2)転化する:変わる
(注 3)苦役:苦しくつらい労働
译文
(3).劳动是为了创造物品而迫使身体承受劳苦,因此它带有辛苦的部分。然而,如果通过这种活动能够感受到与社会的联系,痛苦也可以转化为喜悦(注 2)。削减掉这种喜悦的部分,只剩下苦役(注 3)的状态正在蔓延,如何阻止这一现实是一个巨大的挑战。我们不能仅仅停留在“工作就是快乐!”的表面口号上,也不能因为“害怕工作”而回避,这不是一个非此即彼的选择。我们需要寻求恢复痛苦与快乐之间的平衡,并要求改善工作方式。
(注 1)劳苦: 这里指的是负担
(注 2)转化: 改变
(注 3)苦役: 辛苦且艰难的劳动
原文
(4).情報化社会では、その情報化が進めば進むほど、買い手は商品選択において困るというジレンマを抱えてしまう。企業情報や商品情報が増えれば増えるほど、その実態を推し量る(注)ことが難しくなるので、大量の情報を包括する代表的な名前や記号やスローガンによってその優劣を判断し、それらを手がかりに選択のリスクを軽減しようとする。この記号にあたるのがブランドで、ブランド戦略が注目を浴びてきた背景には、情報社会の進展がある。
(注)推し量る:推測する
译文
(4).在信息化社会中,随着信息化的不断推进,买家在商品选择上会面临一种困境。随着企业信息和商品信息的增加,要准确评估它们的实际状况变得越来越难,因此人们会通过一些代表性的名称、符号或口号来判断商品的优劣,并以此作为依据来降低选择的风险。这些符号就是品牌,而品牌战略之所以受到关注,背后的原因是信息化社会的发展。
(注)推し量る: 推测
原文
(1).ここ数年はクマがヒトの領分(注 1)に入りこんでトラブルになることが多くなった。人里(注 2)にクマが出没する原因を餌不足に求める報道が多かったように思うが、プナ(注 3)に代表される奥山の種子生産の豊凶(注 4)は昔からあるできごとで、奥山での食物不足を毎年のクマ出没の主因に当てはめるのには無理があるように思う。奥山でのクマ同士の競争関係で、弱いクマが餌を求めて人里に出てきているという見方もあったが、人里で捕らえられたクマの栄養状態を調べると、必ずしも競争に負けたクマが人里に降りてきているとは言えないようだ。奥山に十分な餌があっても人里に降りてきたり、人里の作物の収穫時期に合わせて山から下りてくる話を聞いていると、奥山よりも効率よく餌を得られる人里へ、競争に強いクマが降りている様子が想像できる。奥山の動物たちの動きに変化が見られるようだ。それはクマだけでなくカモシカやシカを含めた野生動物全般に広がる変化である。 (中略)
クマをはじめとする野生動物が、人里に「おいしい」食べ物があることを知るのは、山里においしい食べ物をゴミとして捨てたヒトがいるからである。キャンプやバーベキューの後に放置されたゴミや、里山や人里近い山林に捨てられたゴミはしばしば野生動物の食物になる。そして彼らは学習する。ヒトの捨てたゴミは「おいしい」と。学習した野生動物たちは人里近くでゴミによって餌付けされ(注 5)、人里内部へ入りこんでくるのである。野生動物が人里に出没するのは、人間が彼らを誘導している側面がある。
(注 1)領分:領域 (注 2)人里:ここでは、山に近い村 (注 3)プナ:森の木の一種 (注 4)豊凶:豊作と凶作 (注 5)餌付けする:ここでは、人慣れさせる
译文
(1).近年来,熊进入人类的领域(注 1)并引发麻烦的情况变得越来越多。虽然很多报道将熊出现在村庄(注 2)附近的原因归咎于食物短缺,但以森林树木之一的“プナ”为代表的深山种子生产的丰歉(注 4)是自古以来就有的现象,将深山的食物短缺作为每年熊出现的主要原因似乎并不合理。也有观点认为,由于深山中熊之间的竞争关系,较弱的熊为了寻找食物而进入人类居住区,但是检查被捕获的熊的营养状况后,似乎并不能断言它们都是竞争中的失败者。即使深山有足够的食物,熊也会下山到人类居住区,或者根据人类居住区作物的收获时期下山,这让人想象到,比起深山,竞争中较强的熊更倾向于下山到人类居住区以更高效地获取食物。深山动物的活动似乎正在发生变化,这不仅限于熊,还包括羚羊和鹿等所有野生动物。 (中略)
熊和其他野生动物之所以知道人类居住区有“美味”的食物,是因为有人将美味的食物作为垃圾丢弃在山里。露营和烧烤后留下的垃圾,以及被丢弃在靠近村庄或人类居住区附近的山林中的垃圾,常常成为野生动物的食物。它们学会了这一点:人类丢弃的垃圾是“美味的”。这些学会的野生动物在人类居住区附近被垃圾喂养(注 5),进而进入人类居住区内部。野生动物出现在人类居住区,部分原因是人类在诱导它们。
(注 1)领分: 领域
(注 2)人里: 这里指的是靠近山的村庄
(注 3)プナ: 森林树木的一种
(注 4)丰凶: 丰年与歉收
(注 5)餌付けする: 这里指的是使它们习惯于人类
原文
(2).以下は、歴史を研究する人に向けて書かれた文章である。
私たちが生きている現在でも、少し過ぎれば時間的には過去となる。では、少し前の自分の経験がどういう状態であったのだろうか、という場面を、記憶や資料をもとに正確に再現することはできるであろうか。全体について漏れなくすることは、どうあがいても(注 1)できない。(中略)過去を生きた人たちの喜びや楽しみにしても、苦労や苦しみにしても、正確にはわれわれはそのごく一面しか推察できないのだ、という限界についての謙虚な自戒が、歴史を問うにはまず必要だと私は考えている。
そのうえで、現在を生きている人間が、ある問題について関心をもって問いかけるとき、はじめて歴史像を描く道筋の出発点ができる。そうやって問いかけてはじめて、何を史資料として利用できるであろうか、という次のステップの問いへと続いてゆく。あるいは過去からの遺物に接して興味をそそられ、そこから歴史への扉が開かれる、という場合もあるかもしれない。いずれにしても、そうした問いがあって、ある文字表象(注 2)や物体が史料ないし資料としての価値を帯びるのである。
そうした手続きを踏むことによって、われわれは、歴史像の構築へと歩みだす。描かれる歴史像は、過去の実態そのものではない。タイムマシンは残念ながらないのであるから、そこには、歴史を問う者によって再構築された過去の一側面についての像があるのみである。そこにあるのは、現在を生きる者によってなされた解釈の結果としての歴史像である。したがって、歴史像の再解釈ということは、常にありうることといわなければならない。
(注 1) どうあがいても:ここでは、どんなに頑張っても
(注 2) 文字表象: 文字で書いてあるもの
译文
(2).以下是一篇写给研究历史的人的文章。
即使是我们现在所生活的时代,稍纵即逝也会成为过去。那么,我们能否凭借记忆和资料准确地再现不久之前的个人经历呢?想要毫无遗漏地重现整体情况,无论怎样努力(注 1)都是不可能的。(中略)无论是过去人们经历的喜悦和快乐,还是他们的辛劳和痛苦,我们只能推断出其中极小的一部分,认识到这种局限性,对历史的探询者来说是首要的谦虚自戒。
在此基础上,当现在生活的人们对某个问题产生兴趣并提出疑问时,才开始有了描绘历史形象的起点。通过这样的提问,我们才能继续前进到下一个步骤,即考虑哪些可以作为历史资料使用。或者,接触到过去的遗物并被其吸引,从而开启通往历史的大门,这种情况也可能发生。无论如何,正是这样的问题使得某些文字表现(注 2)或物体具有了史料或资料的价值。
通过这样的程序,我们开始走向构建历史形象的步伐。所描绘的历史形象并非过去的实际情况。由于遗憾的是我们没有时光机器,因此那里只有历史探询者重建的过去某一方面的形象。那里存在的,是由现在生活的人们所作出的解释结果的历史形象。因此,对历史形象的重新解释,必须承认是随时可能发生的事情。
(注 1) どうあがいても: 在这里指的是无论怎样努力
(注 2) 文字表象: 指的是书写下来的文字
原文
(3).近代的な社会革命は、人がたまたまどのような社会の場所に生まれ落ちたかという偶然によってその人の人生のほとんどが決まってしまうような生き方というものを否定し、家柄とか階層とか性とか民族とかの出自によって差別されない社会を構築することを目指してきた。言ってみれば、出自をめぐる偶然的条件を度外視して、みなが社会の同じスタートラインにつき、そして学校という場所で、生きるのに最低限必要な基礎的な知識と技能とを学ぶ、そのうえで、その後この社会において個人として何をなしとげるかでその人の価値と人生の形が決まってくるという、そういう社会を目指してきた。理念として言えば、出自の偶然な条件に左右されることなく、人は何にでもなれる、そういう自由な世界を目指したのである。そういうなかで、子どもの愛護、婦人の政治参加、いろいろな(注)差別の撤廃などの政策に取り組んできた。
けれども、何にでもなれるということは、あらかじめ何も決まっていないということ、決定的なものはないということである。裏を返して言えば、何にでもなれるというのは、自分がしたいことが見えないかぎり、何にもなれないということでもある。そのような意味で、自分がここにいることに理由が必要になった時代、自分が存在することの意味を自分で見いださなければならない時代にわたしたちは生きている。ひとりひとりが自分が「やりたい」ことをみずからに問わざるをえないのも、そうした時代のなかにあるからである。
(注)いろいろな: さまざまな
译文
(3).近代社会革命否定了一个人仅仅因为偶然出生在某个社会地位而决定其一生的命运,致力于构建一个不因家世、阶级、性别或民族等出身而受到歧视的社会。换言之,就是忽视出身的偶然条件,让每个人都站在社会的同一起跑线上,在学校这个场所学习生存所必需的基础知识和技能,然后在这个社会中,个人通过自己所取得的成就来决定其价值和人生轨迹,这就是我们所追求的社会。理念上讲,就是追求一个不受出身偶然条件限制,人们可以成为任何他们想成为的人的自由世界。在这样的背景下,我们致力于实施保护儿童、妇女参与政治、消除各种(注)歧视等政策。
然而,“任何事都能成为”意味着事先没有任何事情是确定的,没有决定性的东西。换句话说,“任何事都能成为”也意味着如果一个人不知道自己想做什么,那么他们实际上什么都不能成为。在这个意义上,我们生活在一个需要理由来证明自己存在的时代,必须自己去寻找自己存在的意义。每个人都必须问自己“我想做什么”,这也是因为我们正生活在一个这样的时代。
(注)いろいろな: 各种各样的
原文
ノバクテリアと藻類が誕生し、地球上を酸素で満たすまでには 20 億年以上の時間を要したのに対し、現代人が地球環境を大きく変えるようになったのは、たかだかここ 100~200 年のことである。光合成生物が大気環境を変えるのに費やした時間と比べると、人間が環境を変えた時間はあっという間といえる。そのため、大昔の非常にゆっくりとした大気環境の変化は、当時の生物たちには適応するのに十分な時間があったが、今の急速な環境変化には、多くの生物種が適応できずに絶滅する可能性が高いかもしれない。そのため、人間は①大きな問題を起こしているのだ、という人もいるだろう。
ところが、地球の長い歴史の中では、人類の活動よりも短時間で地球環境を大きく変え、生態系を非常に大きく攪乱した事件があった。今から6500 万年前の中生代白亜紀末の大隕石の衝突である。これにより飛散った破片が大気中で浮遊し(注 1)、太陽光の地上への到達を妨げたといわれている。それが植物による光合成を強く抑え、また地上の寒冷化を引き起こしたと考えられている。そしてこのとき、当時優占していた(注 2)恐竜をはじめ、多くの生物が絶滅することになった。ところが、これほど急激で大きな生態系の攪乱に直面しても、生き残ったものがいた。そして、その生物たちは、新たにつくられた環境に適応しながら、多様な生態系をつくってきたのである。
②このことを考えると、生物というものはとてもタフで、打たれ強いものであることがわかる。すると、今、人類が強い力で地球環境を変えて生態系を大きく攪乱しても、人類は滅びるかもしれないが、その急激に変化する環境をうまく生き抜き、新たにつくられた環境の中で繁栄する生物種が必ず出てくるに違いない。そして、生物がそこに存在することができれば、そこには生物たちの相互関係が生まれ、食物連鎖がつくられ、きちんと機能する生態系がつくられるのである。そしてその新しい生態系をつくっている生物たちの中には、「大昔、ヒトという生物がいて、彼らは我々が住みやすい地球環境をつくってくれたとてもありがたい生物だったんだよ」と、子孫に語り継いでいるものもいるかもしれない。
このように考えると、生態系の善し悪しを考えるときには、誰を中心にするか、いつを基準とするのかによって評価が大きく変わることがわかる。したがって、議論をするときには、その基準を決めなければならないだろう。
(注 1)浮遊する: 浮かび漂う
(注 2)優占している: ここでは、数が多い
译文
当诺瓦克菌和藻类诞生并充满地球氧气时,花费了超过20亿年的时间,而现代人开始显著改变地球环境不过是近100到200年的事情。与光合生物改变大气环境所花费的时间相比,人类改变环境的时间可以说是转瞬之间。因此,过去缓慢的大气环境变化给了当时的生物足够的时间去适应,但现在的快速环境变化可能会导致许多生物种无法适应而面临灭绝的风险。因此,有人可能会说,人类正在①造成巨大的问题。
然而,在地球漫长的历史中,曾经发生过比人类活动更短时间内大幅改变地球环境、严重扰乱生态系统的事件。那就是大约6500万年前中生代白垩纪末期的大陨石撞击。据认为,撞击后飞散的碎片在大气中漂浮(注 1),阻碍了太阳光到达地面,这强烈抑制了植物的光合作用,并引发了地面的冷却。这导致了当时占主导地位(注 2)的恐龙和其他许多生物的灭绝。然而,即使面对如此急遽和巨大的生态系统扰乱,仍有生物存活下来。这些生物适应了新创造的环境,并建立了多样化的生态系统。
②考虑到这一点,我们可以看出生物是非常坚韧和强大的。那么,即使现在人类以强大的力量改变地球环境并扰乱生态系统,人类可能会灭绝,但一定会有生物能够适应这种快速变化的环境,在新创造的环境中繁荣起来。只要有生物存在,那里就会产生生物间的相互关系,形成食物链,并建立起一个正常运作的生态系统。而且,在这些创造新生态系统的生物中,也许有些会告诉它们的后代:“很久以前,有一种叫做人类的生物,他们为我们创造了一个舒适的地球环境,我们非常感激。”
这样看来,当我们考虑生态系统的优劣时,以谁为中心、以何时为基准,评价会有很大的不同。因此,在进行讨论时,我们必须确定这个基准。
(注 1)浮遊する: 漂浮
(注 2)優占している: 在这里指的是数量众多
原文
A
優れた人は決断に迷うものです。決めるために必要な情報をたくさん持っていたり、決めた結果について多岐にわたる予測を立てたりするからです。 「決める力」のある人とは、たくさんの情報を合理的に利用して、最善の結果を予測できる人のことです。潔くパッと決める人は決断力のある人にみえますが、軽率な判断で最悪の結果を招いたのでは決める力があるとはいえません。また、じっくり考えて決める人は慎重な人にみえますが、ただ迷っているだけでは良い結果が得られないでしょう。 (中略) どうすれば「決める力」のある人になれるのでしょうか。身近な仲間の意見はどれも大差がないので話半分に(注)聞いておき、専門性や価値観の異なるたくさんの人の意見を集約して整理します。その上で、自分一人で最終的な決断をするのが「決める力」のある人のやり方です。
B
情報があふれる現代では、選択肢が多すぎてなかなか決断ができないという状況に陥りやすい。最善の結果を得ようと情報を探せば探すほどリスクの可能性を知り、迷い、検討を繰り返しているうちに決断がどんどん遅れてしまう。しかしどのような決断にも負の面は必ずあります。だから時間をかけすぎるよりも、失敗を恐れず迅速に決断していく人のほうが「決める力」がある人だと言えるでしょう。 しかし、早さが必要だといっても、適切な判断ができなければ意味がありません。早く適切な決断ができるようになるには瞬時に自身とは異なる見方を検討し、客観的な判断ができなければならない。日頃からさまざまな価値観に触れ、多角的に物事をとらえられるようになることが必要です。
(注)話半分に:ここでは、事実は全体の半分くらいだという気持ちで
译文
A
优秀的人在做决定时会感到犹豫。因为他们拥有大量必要的信息,或者会为决定的结果做出多方面的预测。 所谓“有决策力”的人,是指那些能够合理利用大量信息,预测最佳结果的人。迅速果断地做出决定的人看起来像是有决断力,但如果因为轻率的判断而导致最坏的结果,那么就不能说他们具备决策力。同样,那些经过深思熟虑后做出决定的人看起来像是谨慎的人,但如果只是在犹豫不决,可能也无法得到好的结果。 (中略) 那么,如何才能成为一个有“决策力”的人呢?对于身边朋友的意见,由于它们之间没有太大差别,可以听取但要有所保留(注),并且要综合整理来自不同专业和价值观的许多人的意见。在此基础上,最终由自己独立做出决定,这是有“决策力”的人的做法。
B
在信息泛滥的现代社会,我们很容易陷入因为选择太多而难以做出决定的困境。当我们试图寻找最佳结果而不断搜集信息时,我们会了解到更多风险的可能性,从而陷入犹豫和反复考虑,导致决策不断推迟。然而,任何决策都有其负面的一面。因此,比起花费太多时间,那些不惧失败而迅速做出决策的人更有“决策力”。 但是,尽管需要迅速做出决策,如果不能做出恰当的判断,那么也没有意义。为了能够迅速做出恰当的决策,必须能够瞬间考虑与自己不同的观点,并做出客观的判断。平时就需要接触各种价值观,并能够多角度地看待事物。
原文
なんであれ無我夢中になって時間を忘れるような体験は、誰にとっても奇跡のような時間である。そんな奇跡を可能にしてくれるものこそ、実は「独り」の時間なのである。現実世界の他者との接点が完全になくなり、日常のあれやこれやが背景に没する(注1)と言えば、人は自由の翼を羽ばたかせる。
しかし、現実のもろもろ(注2)が想像力や感性を邪魔しているかぎり、そうした無限といってよい自由はやってこない。ヒマで死にそうな人にも、あの、わくわくする自由は訪れない。①あの自由を取り戻すためには、周囲の人たちとのつながりを完全に忘れてしまわなければならない。あるいは、つながりを完全に絶ってまでも、そこに没入したい(注3)世界が存在しなければならないということである。
独りは、「ひとりほっち」である。孤独であり、寄る辺ない(注4)状態だ。中学生の中には--もちろん高校生や大学生の中にも--、ひとりほっちになるのが怖くて、電話機から離れられない人も多い。一瞬でもスマホ(注5)を手放すのが怖くて仕方がない人たちのことを聞くと、私は「かわいそうだな」と思う。彼らは人とのつながりがなくなり、ひとりほっちの深みに沈むのが怖くてたまらないのだ。たぶん、彼ら・彼女たちは孤独の効用を知らないし、ひとりほっちゆえの自由も知らない。孤独になるところから始まる創造的な時間の使い方もまったく知らない。だから、彼ら・彼女たちにとって、孤独はきっと闇のように暗くて深いのだ。
そんな、②かわいそうな子どもたちをどうすれば助けてあげられるだろうか。独りを恐れてはならないと言ってあげればいいのか、独りになることは怖くないと言っても、きっと彼ら・彼女たちには通じない。たぶん、その恐れているものこそ最も貴い宝なのだと教えてくれる何かに出会うことが必要なのだ。孤独が闇ではなく、光であり、途方もない創造性の源泉であることを知る機会さえあればいい。多くの人々を感動させてきた文学作品や、感嘆の声を上げざるを得ない美術作品の数々。それらは原稿用紙に向かい、キャンバスと向き合った孤独な者たちの手から生まれたものだ。(中略)もちろん、孤独でありさえすれば③偉大な作品が生まれるわけではない。孤独は創造性にとって十分条件ではなく、必要条件なのだ。だから、いきなり深遠な思索やらオリジナルな発想やらがどうして生まれるのか、と聞かれても、答えようがない。しかしそのような傑作が生まれ落ちた素地(注6)にあるのが「独り」の状態だということは知っておくべきだろう。
孤独に対して、あまりよくないイメージがあるなら、そのイメージを払拭し、ポジティブな(注7)イメージに転換しておかなければならない。孤独は創造の源泉であり、夢中になれる悦ばしい時間の素地である。
(注 1)背景に没する: 在这里指的是变得不被意识到
(注 2)もろもろ: 各种各样的事情
(注 3)没入する: 热衷于
(注 4)寄る辺ない: 没有依靠
(注 5)スマホ: 拥有计算机功能的移动电话,智能手机
(注 6)素地: 基础
(注 7)ポジティブな: 积极的
译文
无论是什么,当人们全神贯注以至于忘记时间的体验,对于任何人来说都是如同奇迹般的时间。能够带来这种奇迹的,实际上正是“独处”的时间。当现实世界中与他人的联系完全消失,日常的琐事变得不被意识到时,人们才能展开自由的翅膀。
然而,只要现实中的种种杂事妨碍了想象力和感性,那种几乎无限的自由就不会到来。即使闲到要死的人,也不会有那种令人兴奋的自由。①要找回那种自由,就必须完全忘记与周围人的联系。或者说,即使完全断绝联系,也必须存在一个你愿意全身心投入的世界。
独处意味着“独自一人”。它是孤独的,没有依靠的状态。在中学生中,当然也包括高中生和大学生,有许多人害怕独自一人,以至于无法离开电话机。听到有人连一瞬都不敢放下手机,我会觉得“他们很可怜”。他们害怕失去与人的联系,害怕沉入孤独的深渊。他们可能不知道孤独的好处,也不知道独自一人才有的自由,更不知道从孤独开始的创造性时间的使用方法。因此,对他们来说,孤独一定是像黑暗一样深邃而可怕。
那么,我们该如何帮助这些②可怜的孩子们呢?告诉他们不应该害怕独处可能没有用,即使告诉他们独处并不可怕,他们可能也无法理解。他们可能需要遇到某样东西,告诉他们他们所害怕的其实是他们最宝贵的财富。如果他们有机会知道孤独不是黑暗,而是光明,是无尽创造力的源泉,那就足够了。许多感动了无数人的文学作品和令人赞叹不已的美术作品,都是孤独者面对稿纸、面对画布创作出来的。(中略)当然,并不是说只要孤独就一定能产生伟大的作品。孤独不是创造性的充分条件,而是必要条件。因此,如果有人突然问我深邃的思考或原创的想法是如何产生的,我也无法回答。但是,我们应该知道,许多杰出作品诞生的基础就是“独处”的状态。
如果人们对孤独持有不好的印象,那么就有必要消除这种印象,将其转变为积极的形象。孤独是创造力的源泉,是能够让人全神贯注的快乐时光的基础。
本文作者:yowayimono
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