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2024-10-07
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短篇1
短篇2
短篇3
短篇4
中篇1
中篇2
中篇3
中篇4
长篇
对比

短篇1

原文

以下は、ある会社がホームページに掲載したお知らせである。

株式会社フジハルク お客様各位 大切なお知らせ 2019年10月1日 株式会社フジハルク 家庭用エアコン「A42-C4」の再修理のお知らせ

日頃は弊社製品をご愛用いただき、厚く御礼申し上げます。

この度、家庭用エアコン「A42-C4」について、弊社が2019年4月から8月の間に実施したホース修理の際に使用した金具に不具合があることが判明しました。そのため、その期間に修理をした製品に対して再修理を実施させていただくことになりました。

つきましては、再修理の対象となるお客様には、弊社製品の修理を行っております関連会社「エンジニア」より直接電話にてご連絡させていただきます。

なお、本件に関するお問い合わせは、弊社お客様センターまでお願いいたします。

お客様には大変ご迷惑とお手数をおかけしますことを深くお詫び申し上げます。何卒ご理解賜りますよう、お願い申し上げます。

株式会社フジハルク お客様センター:0120-333-4585 [受付時間 10:00-18:00 土日祝休み]

译文

以下是一家公司在其网站上发布的通知。

株式会社富士哈尔克 尊敬的客户们 重要通知 2019年10月1日 株式会社富士哈尔克 关于家用空调“A42-C4”的再次维修通知

感谢您一直以来使用我们的产品。

我们发现,对于2019年4月至8月期间进行的家用空调“A42-C4”软管维修过程中所使用的配件存在缺陷。因此,我们将对在该期间接受过维修的产品进行再次维修。

对于需要再次维修的客户,我们的关联公司“工程师”将直接通过电话与您联系。

另外,关于此事的任何疑问,请联系我们的客户服务中心。

对于给您带来的极大不便和麻烦,我们深表歉意。恳请您给予理解和支持。

株式会社富士哈尔克 客户服务中心:0120-333-4585 [营业时间 10:00-18:00,周末及节假日休息]

短篇2

原文

目的地を目指して走るだけでは、人生というのはもったいないのではないか。私は散歩することが好きなのだが、散歩というのは、ゴールをめざして邁進することの対極にある。むしろ目的に縛られていたのでは見えてこないものへと心を開いていかなければいけない。ちょっとした季節の移り変わり、鳥の声、心地よい風。店先からパンを焼く匂いなどが漂ってくると、それだけで幸せな気持ちになる。人生にも、こんな味わいがあるだろう。

译文

如果只是为了达到目的地而奔波,人生岂不是太可惜了吗?我喜欢散步,而散步正与朝着目标努力前进的行为形成对比。我们不应该被目标束缚,而应该敞开心扉去感受那些在目标驱动下看不见的事物。比如,细微的季节更迭、鸟儿的鸣叫声、宜人的风。当面包店飘出烤面包的香味时,仅仅是这些就足以让人感到幸福。人生中,也应该有这样丰富的体验。

(注) 对极:处于相反的位置

短篇3

原文

子どもたちは、教師から「自分で考えなさい」「人の真似をしてはいけません」ということを明示的にも、暗示的にも示されると、「人の真似ではない」という「真似」をすることを学ぶようになる。例えば、自分自身の気持ちとは裏腹に、あえて「人とは異なる発言、あるいは行動をする」ことを学んでいく。この学びが模倣ではないとどうして言えようか。個性的、一見創造的に見える仮面をつけた模倣は、明らかな「形」の模倣とは異なる故に、その実体が見えにくい。

译文

孩子们在教师明确或暗示地告诉他们“要自己思考”、“不要模仿别人”之后,会学会一种“不是模仿的模仿”。例如,他们可能会学习违背自己真实感受地故意做出“与众不同的话语或行为”。这种学习怎么能说不是模仿呢?他们戴上看似个性和创造性的面具,进行模仿,因为这种模仿与明显的“形式”上的模仿不同,所以它的本质不容易被看穿。

短篇4

原文

かつては「必要は発明の母」であった。技術は物質的な欲望から出発したのは事実だが、「必要」という精神の飢えが「発明」という物質的生産を導いたことを忘れてはならない。精神が物質をコントロールしていたのだ。しかし、現代は「発明は必要の母」となった。 「発明」品を改良して新たな機能を付加することにより、人々に「必要」であったと錯覚させ、消費を加速したのである。必要と発明の関係が逆転し、物質が精神を先導するようになったと言える。

译文

过去曾有“需求是发明之母”的说法。虽然技术确实源于物质欲望,但我们不应忘记,是“需求”这种精神上的渴望引导了“发明”这一物质生产过程。那时,精神控制着物质。然而,在现代,情况变成了“发明是需求之母”。

通过改进“发明”产品并增加新功能,使人们产生了一种错觉,认为这是他们所需要的,从而加速了消费。需求与发明的关系发生了逆转,物质开始引导精神。

中篇1

原文

私たちが頭の中で「考える」とき、決して論文のように筋道の立った記述のように考えるわけではない。たとえば私の評論を書くときの経験では、論旨のエッセンスとなるような直感とか、ハイライト部分の“決め”になるようなフレーズを思いついたときに「これは書ける」とかわくわくして思い立つのである。つまり、その瞬間の頭に浮かんだものは、ばらばらな断片と大まかな展望に他ならない。そのビンポイントの断片と他の断片との間を、スムーズな説得力のある流れになるように継ぎ足していく作業が「書く」という仕事である。

しかし、スムーズにつなぐことに集中しすぎると、もとの目的地から逸れた方向へ論旨が勝手に伸びていってしまうことがままある。(中略)人は書こうとしていたことをきちんと書けるわけではないのに、むしろ積み木のように書き足しているうちに、最初は書こうともしていなかったことを知らず知らずに書いてしまうことが少なくないのである。そのくせ書き上げてしまうと「そうか、自分はこういうことを考えていたんだ」などと思えてくるから不思議だ。

私たちの意識は、言葉とイメージの網の目をふわふわ漂っているようなものである。それが言葉や文章に定着したとき「考え」というものになる。言葉を抜きにして「考え」は存在しない。順序として「考え」がもともとあったから言葉が出てくるのだと思いがちだが、逆に言葉が出てきて初めて「考え」ははっきりするものなのである。だから言葉の運動が勝手に作り上げてしまった論旨が、いつのまにか自分の「考え」になってしまうという現象が起こるわけだ。

译文

当我们头脑中“思考”的时候,并不是像论文那样有条理地叙述。例如,在我写评论的经验中,当我想到构成论点精髓的直觉或成为亮点部分的“决定性”短语时,我会感到兴奋并想到“我能写出来”。也就是说,那一刻脑海中浮现的,不过是零散的片段和大致的展望。将这些关键点的片段与其他片段连接起来,形成流畅且有说服力的过程,就是“写作”这项工作。

然而,如果我们过于专注于使论述流畅,有时论点会不知不觉地偏离原本的目的地,朝着其他方向发展。(省略部分)人们往往不能准确地写出原本打算表达的内容,反而像堆积木一样逐渐添加文字,在不知不觉中写出了最初并未打算表达的东西。奇怪的是,一旦写完,人们却会认为“原来我是这么想的”。

我们的意识就像在词语和图像的网眼中飘浮不定的东西。当它固定在词语或文章中时,就变成了“思考”。没有语言,就没有“思考”。人们通常认为是因为先有了“思考”,所以才会有语言出现,但实际上,是语言的出现才使“思考”变得清晰。因此,语言的流动无意中构建的论点,最终变成了自己的“思考”,这就是发生的现象。

(注1)ハイライト部分:这里指重要的部分

(注3)ビンポイントの:这里指核心的

(注2)フレーズ:这里指词语或表达

(注4)まま:有时

中篇2

原文

イギリスの科学誌『ネイチャー』の最近の号に、カエルの種多様性と寄生虫の感染率についての論文が載っています。カエルの全数は同じで、特定の1種類しかいない場合と、数種類のカエルが共存する場合で、ある種のカエルが寄生虫に感染して発病する割合は、前者の場合のほうが高いという内容です。つまり多様性が高いと特定の種が病気になる割合が下がるというのです。 (中略)

他の種が存在することによって自分が病気になる確率が下がるとするのなら、それぞれの種は互いの種を競争で滅ぼしてしまわないほうが自分も得をします。もしかすると、自分たちの使う資源を他の種に譲ってでも、それを存続させることが有利になるかもしれません。アリのような種内での協力と同様、いくつもの種がコストを払って共存し合うことで、それぞれの種が得をしている可能性があります。種のレベルを超えた協力と言えるかもしれません。 この話がさらに面白いのは、それが寄生虫という、カエルを滅ぼしかねない要因とリンクして起こっている点です。寄生虫の側から見た場合、感受性のある(感染する)カエル1種だけのときは、どの個体へも感染でき、そこで成長できますから短期的な寄生虫の増殖率は高くなるでしょう。しかし、全部のカエルに感染して殺してしまうと寄生できる相手がいなくなるため、寄生虫も滅びなくてはならなくなります。したがって、いろいろなカエルがいることは、寄生虫にとっても、自身の長期的存続を可能にするメカニズムとして働いているのです。

译文

最近的英国科学杂志《自然》上发表了一篇关于青蛙种类多样性与寄生虫感染率的论文。研究中使用了相同数量的青蛙,比较了仅存在单一品种的情况与多种青蛙共存的情况,结果表明,在单一品种的情况下,某种青蛙感染寄生虫并发病的比例更高。也就是说,多样性越高,特定种类青蛙生病的比例就越低。 (中略)

如果其他种类的存在能够降低自己生病的概率,那么每个种类可能都会从不通过竞争消灭对方中获益。也许,为了使其他种类存续,即使放弃自己使用的资源也是有利的。就像蚂蚁之间的合作一样,多个种类可能通过承担成本来共存,从而每个种类都可能从中获益。这可以被视为超越物种层次的合作。

这个话题更有趣的是,它与寄生虫这种可能灭绝青蛙的因素相关联。从寄生虫的角度来看,如果只有一个易感品种(能被感染的),它们可以感染任何个体,在那里生长,因此短期内寄生虫的繁殖率会很高。然而,如果感染并杀死了所有的青蛙,寄生虫也会因为没有可寄生的对象而灭绝。因此,存在多种青蛙对寄生虫来说,也是一种机制,有助于它们自身的长期存续。

中篇3

原文

今、モノづくりの過程を「見える化」と称して可視化(注 1)、数値化し、技やノウハウを共有化したり、さらには自動化して人を減らそうという動きが盛んになっています。けれど、この過程には大きな危険が潜んでいることを認識しなくてはなりません。

モノづくりには、手づくり、手作業の要素が非常に重要です。経験、勘に基づく技は体で覚えるしかありません。見える化しようとすると、すべての作業をデジタル的に数値化することになります。しかし、勘や経験による手作業は数値化できません。また、どんな思いを込め、どんな気持ちでつくっているかという心の部分は数値にしようがありません。

(中略) 見える化の過程には「省略」と「変形」が起きる危険性があります。怖いのは、一度、仕組みができ上がると、それが元の実態であるかのような錯覚を起こし、一人歩きしてしまうことです。見える化されたものは、元々の姿からアナログの部分が省略され、変形しているのです。これに気付かなければなりません。

もう一つの危険は創造が起きなくなることです。ある職人の技があったとします。これを見える化しても、そこからは何も新しいものや価値が生まれているわけではありません。

匠(注 2)の技とは、自分で経験を積み、手で触り、頭で考えている中で、「こうしたほうがいい」「こんなやり方があるな」と気付き培ってきたものです。つまり、手作業のプロセスの中にこそ創造があるのです。

今のやり方を見える化、自動化し、手作業のプロセスを抜いてしまえば、新しい技術は生まれません。

译文

现在,制造过程被称为“可视化”,正在努力使之可视化、数字化,并共享技术和知识,甚至进一步自动化以减少人力。但是,我们必须认识到这个过程中潜藏着巨大的危险。

在制造中,手工制作和手工操作的元素非常重要。基于经验和直觉的技能只能通过身体去学习。当我们试图可视化时,所有的工作都会被数字化。然而,基于直觉和经验的手工操作是无法数字化的。同样,投入的情感和制作时的心情也是无法用数字来表达的。

(中略) 在可视化的过程中存在“省略”和“变形”的危险。可怕的是,一旦系统建立起来,就会产生错觉,以为它就是原本的实际情况,然后它就开始自行其是。被可视化的东西,是从原本形态中省略了模拟部分,发生了变形的。我们必须意识到这一点。

另一个危险是创造力的消失。假设有一个工匠的技艺。即使将它可视化,也不会从中产生任何新的东西或价值。

工匠的技艺是通过自己积累经验、亲手触摸、头脑思考,在过程中“这样做会更好”、“有这样一种方法”地发现和培养出来的。也就是说,创造存在于手工操作的过程中。

如果我们把当前的方法可视化、自动化,并且省略手工操作的过程,那么新的技术就不会产生。

(注 1) 可视化:使之能够被看到

(注 2) 匠:技艺高超的工匠

中篇4

原文

脳科学はヒトそのものの仕組みを明らかにしようとする学問です。そのため、その成り立ちから人々の耳目を引くように運命づけられていると言えます。脳科学は、誰もが青春の時期に悩む「自分って何だろう」という疑問に科学の力で挑むという、考えてみたら少し青臭い学問だったりするのです。

だからというわけではありませんが、人々の口に上りやすく、そのため伝搬のスピードも他の学問と比べて早いように思います。特に、自己の知覚の裏をかかれるようなさまざまな現象、たとえば錯視現象や無意識と意識の話などは、自己恒常性、つまり自分がいつも自分であり続けることに関わるだけに、他のどんな科学より人々の気持ちを驚かせます。そのせいで、脳機能を理解する前に現象だけが先走って人々の間に広がっていくことも多い学問です。もちろん、それは何より面白いからです。

そんな脳科学も、昨今の説明責任という考え方や社会選択という意味合いで、一般の人々に何とか知見のフィードバックをしなければならない圧力にさらされています。少し前には、脳科学の研究成果が新聞に掲載されることはあまりありませんでしたが、今ではプレスリリースも当たり前に行われますし、そこではできるだけ面白く人々の興味をひきつけるストーリーを作りがちになります。本当はそういう色気は基礎科学に馴染まないのですが、メディアからの要請があると、私たちはなんとかそれに応えようとして、浅薄な脚色をして本当の面白さをゆがめてしまいがちになります。そういう「メディア対応」と呼ばれる技術も科学者に必要とされている現代は、ある意味で科学者にとって不幸な時代なのかもしれません。

(中略) 昨今の過剰なメディアの脳科学の取り上げ方は、科学者の説明責任を遥かに逸脱したレベルであるように思えるのです。そういうメディアの要求に、誠実に対応しようとすればするほど、科学者は自分をすり減らすことになるでしょうし、だんだんと科学の現場から乖離せざるを得なくなるでしょう。それは、優秀な科学者を潰すことになります。 科学者の価値は、何よりも科学の現場に居続けることにあります。科学的知見に裏打ちされない空論を弄ぶのではなく、常に研究の現場に自分をつなぎ止め、足を杭で打ち付けてでも科学の現実から離れないようにすること。そういう決意をもってメディアに対応するのであれば、フワフワと遠くに行ってしまうことはないでしょう。

译文

脑科学是一门旨在揭示人类自身机制的学科。因此,从其诞生之初,它就被注定会吸引人们的注意力。脑科学挑战着青春期每个人都可能思考的问题“我是谁”,用科学的力量去解答,这在某种意义上是一门略显青涩的学科。

并非因为这个原因,但脑科学容易成为人们讨论的话题,因此其传播速度比其他学科要快。特别是那些颠覆我们对自我感知的现象,如错觉现象、无意识与意识的话题等,因为它们与自我恒常性——即我们始终保持自我——息息相关,所以比任何其他科学更能触动人们的心灵。因此,现象往往在人们理解脑功能之前就已经广泛传播。当然,这是因为这些现象本身非常有趣。

然而,脑科学如今面临着必须向公众反馈研究成果的压力,这源于对解释责任和社会选择的考虑。不久前,脑科学的研究成果很少出现在报纸上,但现在发布新闻稿已成为常态,并且倾向于制作尽可能吸引人的故事来吸引人们的兴趣。虽然这种做法并不适合基础科学,但面对媒体的要求,我们往往试图满足,有时会过分简化,从而扭曲了真正的趣味性。在某种程度上,现代科学家需要掌握这种被称为“媒体应对”的技能,这在某种意义上可能是科学家的不幸时代。

(中略) 当前媒体对脑科学的过度报道似乎远远超出了科学家的解释责任。如果科学家诚实地尝试满足这些媒体的要求,他们可能会消耗自己,逐渐与科学现场脱节。这将导致优秀的科学家被埋没。

科学家的价值在于始终处于科学现场。不应该玩弄没有科学依据的空洞理论,而应该始终保持与研究现场的联系,就像用桩子钉住自己的脚一样,不让自己远离科学的现实。如果带着这样的决心去应对媒体,就不会轻易地飘走。

长篇

原文

交換と交易(注 1)の歴史は非常に古く、何万年も前までさかのぼるようだが、貨幣経済は進化史的に言えばごく最近のことである。どんなものにも変えることができる抽象的な価値とは、とんでもない発明だと思う。(中略)

それは、貨幣というものが、確かに人間の生活を変え、世界を見る目を変え、欲望のあり方を変え、人生観を変え、結局のところ人間性を変えてきているように思うからだ。貨幣経済の真っ只中で暮らしている私たちにとって、貨幣は当たり前のことだが、人間という生物にとって、こんなものの存在は決して当たり前ではなかった。そして、大量の砂糖や脂肪の存在に私たちの脳も体もうまく対応できていないのと同じく、この貨幣という存在にも、実は私たちの脳はうまく対応できていないのではないか?

人間が狩猟採集生活をしていた頃、人間は自分たちの手で集められる食料を食べ、自分たちの手で作れる道具や衣服を使って暮らしていた。できることは限られていたし、望めることには限度があった。まさに等身大の(注 2)生活である。それ以上の世界の可能性を知らなければ、欲望にも限りがあった。「欲しい物」というのは具体的な物であり、それを手に入れる方法は限られていた。そして、人間はそのことを知っていた。

しかし、何にでも交換できる抽象的な価値が手に入るようになると、それ自体を得たいという新たな欲望が生まれる。「金の亡者(注 3)」は、何か特定の物が欲しいから貨幣を得るのではない。とにかく貨幣をためることが何にもまして大事な目的なのだ。そこには限度がない。

また、何にでも交換できる抽象的な価値は、人間関係を買うことも、幸せな気分を買うこともできる。貨幣がない時には、人間関係を築いていなければできなかったことが、個別の人間関係抜きに手に入る。逆に、貨幣なしではほとんど何もできない。

そして、今では、貨幣を手に入れることは一つの職業につくことである。一つの職場で一つの仕事をし、その対価(注 4)に貨幣をもらう。そうすると、人間は、自分が独立して生きていると思う。本当は、今でも狩猟採集生活時代と同じように、みんなで共同作業をすることで生きているのだ。農家がいなければお米も野菜もない。物流や商店がなければ、買うことができない。医者がいなければ病気を治せない。学校の先生がいなければ教育ができない。今でも、みんなでともに生き、生かされて暮らしているのだが、それぞれに貨幣が介在しているので、共同という感覚がなくなる。便利なものには必ず負の面がある。ちょっと立ち止まって考えてみた方がよい。

译文

交换和交易的历史非常悠久,可以追溯到数万年前,但货币经济在进化史上来说是非常近期的事物。能够与任何东西交换的抽象价值,我认为是一项惊人的发明。(中略)

这是因为货币确实改变了人类的生活方式、看待世界的眼光、欲望的形态、人生观,最终甚至改变了人性。对于我们这些生活在货币经济中心的人来说,货币是理所当然的存在,但对于人类这种生物来说,这样的存在绝非理所当然。就像我们的大脑和身体无法很好地适应大量糖分和脂肪的存在一样,我们是否也未能很好地适应货币这种存在呢?

在人类从事狩猎采集生活的时候,人类吃自己能够收集到的食物,使用自己能够制作的工具和衣物。所能做的事情有限,所能期望的也有限。那是一种与自身能力相匹配的生活。如果不知道世界还有更多的可能性,欲望也是有限的。“想要的东西”是具体的物品,获得它们的方法也是有限的。而且,人类知道这一点。

然而,当能够获得可以与任何东西交换的抽象价值时,就会产生想要获得这种价值本身的新的欲望。“金钱的奴隶”并不是因为想要得到某个特定的东西而获取货币。对他们来说,积累货币本身就是最重要的目的。在这方面没有限制。

此外,可以与任何东西交换的抽象价值,甚至可以购买人际关系,购买幸福的感觉。在没有货币的时候,如果不建立人际关系就无法做到的事情,现在可以不依赖个别的人际关系而获得。相反,没有货币几乎什么都做不了。

而现在,获得货币等同于从事一种职业。在一个工作场所做一份工作,作为报酬获得货币。这样,人们会认为自己是独立生活的。实际上,即使在今天,我们也像在狩猎采集时代一样,是通过共同工作而生存的。如果没有农民,就没有大米和蔬菜。如果没有物流和商店,就无法购买商品。如果没有医生,就无法治病。如果没有学校老师,就无法接受教育。即使现在,我们也是共同生活、相互依存的,但由于货币的介入,共同的感觉消失了。便利的东西总是有其负面的一面。我们应该稍微停下来思考一下。

对比

原文

A

褒めれば人は育つといいます。確かに人間は叱られるより、認められたり褒められたほうが嬉しいに決まっていますし「よし、次もがんばろう」とやる気も出るものです。リーダーだって、普段からガミガミ言うより、部下を褒めるほうが自分自身の気分も良いでしょう。

しかし褒めてばかりいると、今度は思わぬ弊害が出てくると私は考えています。確かに部下の士気は上がるのですが、逆に褒められることが目的になりかねない。「お前は偉いな」と課長に褒められたいから、仕事を一生懸命にやるようになってしまうのです。 (中略)

「良くやった」「偉いな」などという言葉は、たまに言うから効果的なのであって、日常的に口にしていたら効果は半減してしまうでしょう。要は褒めるところと叱るところ、リーダーはいつも人を見てバランスを考えなくてはなりません。

B

部下のやる気を引き出すようにうまく褒めるのは難しい。的外れな褒め方をすれば「自分をよく見ていない」と不信感を抱かせてしまうし、皆の前で特定の人ばかりを褒めれば、チーム内の関係が悪化してしまうこともある。さらに褒め続けることで、部下が、仕事への責任感や使命感からではなく、上司に褒められることを目的にがんばるという状態になってしまう恐れがある。

このような事態を避けるために、上司には適切に褒める技術が求められます。部下が良い仕事をしたら、タイミングを逃さずその場で褒めることが効果的だ。また、成果だけを褒めるのではなく、仕事の過程の中で何が良かったかを取り上げて褒めることが重要だ。そうすれば、部下も評価された点を明確に自覚でき、次の仕事につなげやすくなる。

译文

A

人们常说,表扬能促进人的成长。确实,比起被责备,人们更喜欢被认可或表扬,感到高兴,并且会激发“下次也要加油”的动力。领导者也是如此,比起经常责备,表扬下属会让自己的心情更好。

然而,我认为如果只是一味地表扬,也会带来意想不到的副作用。虽然下属的士气确实会提高,但工作可能变得以被表扬为目的。“你真棒”,被科长表扬后,下属可能会变得非常努力工作。 (中略)

像“做得好”、“真厉害”这样的表扬话语,偶尔说说才有效果,如果经常挂在嘴边,效果就会减半。关键在于领导者需要平衡表扬和批评,时刻观察人并考虑如何平衡。

B

恰当地表扬以激发下属的积极性是很难的。如果表扬不当,可能会让下属感到“你不了解我”,从而产生不信任感;如果在大家面前只表扬特定的人,可能会破坏团队内部的关系。而且,如果不断地表扬,下属可能会变得只为了得到上司的表扬而努力工作,而不是出于对工作的责任感或使命感。 为了避免这种情况,领导者需要掌握适当的表扬技巧。当下属做得好时,及时在当下表扬是有效的。而且,不仅仅是表扬成果,还要表扬在工作过程中哪些地方做得好,这一点很重要。这样,下属就能明确地意识到被评价的优点,并且更容易将其应用到下一项工作中。

本文作者:yowayimono

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