原文
(1).昨今の雑誌はあまりにもレイアウトに凝りすきる。最初に倉庫をこまかく仕切っておいて、それに合わせて原稿をつくるから、読んでいても書いていても息苦しい。デザイナ-は設計図に合わせて材料に手をくわえる。足りなければ増やし、はみだせば切りちちめる。でも編集者はちがう。編集とは本来、すでににある材料をそのまま組み合わせ、そのことによって新しい意味の深さやひろがりをつくりだす作業なのだ。私はデザイナ-ではなく編集者がつくった雑誌が読みたい。
译文
(1).最近的杂志过于追求布局设计。事先将仓库细致地划分好,然后根据这些来编写稿件,无论是阅读还是写作都让人感到压抑。设计师是根据设计图来加工材料的。如果不够就增加,超出就削减。但编辑则不同。编辑本质上是将现有的材料进行组合,通过这种方式创造出新的意义深度和广度的工作。我更想读的是由编辑而不是设计师制作的杂志。
原文
(2).並木は四季折々に変化する自然の壁である。葉を落として列柱のような状態があったり、花を咲かせて賑やかなトンネル状の壁をつくったり、葉を繁らせて密な緑陰の壁になったりする。この連続、柔らかな透けた壁が、どれほど街並みの一体化に役立っているか、まとまりがなく不揃いな街路も、並木によってまとめられ、緩やかな連結を成功させている例など数え上げればきりがないのである。
译文
(2). 行道树是随着四季更迭而变化的自然之墙。它们有时落叶形成类似列柱的状态,有时开花营造出热闹的隧道状墙壁,有时枝叶繁茂成为密集的绿荫之墙。这些连续的、柔和而半透明的墙壁,对于城市景观的一体化起到了多么重要的作用。即使是原本杂乱无章、不整齐的街道,通过行道树的装点也能被整合起来,成功地实现了柔和的连接。这样的例子不胜枚举。
原文
(3).わたしが幼児期から青年期までを過ごした半世紀前の「日本」は、現在の「日本」からみれば「外国」である。あるいは、わたしにとっての「母国」はすでにどこかに消え去って、いまのわたしは馴れない「外国暮らし」をしているのかもしれぬ。国名だけは変わっていないが、ひとつの「時代」は「外国」であり、そこにあるのは明らかに「異文化化」なのである。
译文
(3). 我在日本度过从幼儿期到青年期的半个世纪前的「日本」,与现在的「日本」相比,感觉就像是「外国」。或许对我来说,「祖国」已经消失在某处,现在的我可能正过着不习惯的「外国生活」。虽然国名没有改变,但一个「时代」已经成为「外国」,那里明显存在着「异文化化」。
原文
(4).筆者がレコード会社の宣伝担当者から聞いた言葉に「流行っていると思わせれば、本当に流行る」というのがある。こうした宣伝の場面において音楽産業が力を注ぐのは「事実」ではなく「買い手にそう思わせること」、つまり「認識の形成」である。こうした手法を音楽産業は「夢を売る」とよく呼ぶ。つまり音楽産業は買い手が欲しがる「ファンタジー」(注 1)を先んじて(注 2)キャッチし、商品化し、売ることに長けている(注 3)。
(注 1)ファンタジー:幻想 (注 2)先んじて:ここでは、誰よりも早く (注 3)長けている:優れている
译文
(4). 笔者从唱片公司的宣传负责人那里听到的一句话是「只要让人们认为它流行,它就会真的流行起来」。在这样的宣传场合,音乐产业关注的不是「事实」,而是「让买家那样认为」,即「形成认识」。音乐产业通常将这种手法称为「卖梦」。也就是说,音乐产业擅长于先于他人捕捉到买家所渴望的「幻想」(注 1),将其商品化,并进行销售(注 3)。
(注 1)ファンタジー: 幻想 (注 2)先んじて: 在这里指的是,比任何人都要快地 (注 3)長けている: 擅长
原文
(1).近年、わが国では、物事を解説したり、考えや視点を明確に伝えたりする際に、難解な言葉や文章を使うことは敬遠され、よりわかりやすい言葉や文章、語りが求められる傾向が顕著である。テレビの番組などでニュース解説を担当するキャスターの中には、そのわかりやすい解説で人気を博す(注 1)者もある。わかりやすさは確かに重要であり、学校の授業でもよい授業、子どもたちの効率のよい学習活動が展開される授業における指導者の言葉や解説は、わかりやすく的確である。さらに各種の映像装置を駆使するなど、わかりやすさを実現するための技術も進歩している。そこでは、言葉が思考と伝達のための主たる役目を担うことになるが、そのわかりやすさはときとして、受け取る側の思考の多様性や広がり、深まりを妨害することがある。
わかりにくいものとわかりやすいものがあれば、人は当然わかりやすい方を選択する。わかりやすく的確な言葉は、そのまま学習者の中に取り入れられる。そして、多くの人はその時点で学習が終了したと考えるのである。わからなかったことがわかった、新しい知識を得た、これが学習の最終段階だと思ってしまうのである。しかしそれは、自身の中にその解説を発した人の言葉や考えを取り入れたにすぎない。「学びの真正性(注 2)」とは、そこから自身の新たな思考を広げ、それらが表現される段階まで進むことである。そして、その多くは自分1人で行われるものではなく、他者との関係性の中で成立することが多い。
(注1)博す: 得る
(注2)学びの真正性: ここでは、本物の学び
译文
(1). 近年来,在我国,当解释事物或明确传达想法和观点时,避免使用晦涩难懂的词汇和文章,而更倾向于使用易于理解的语言和叙述,这种趋势变得非常明显。在电视节目中负责新闻解说的主持人中,有些人因其易于理解的解说而受到欢迎(注 1)。易懂性确实很重要,在学校的课堂上,为了开展高效的学生活动,教师的语言和解释也应该是易于理解且准确的。此外,通过运用各种影像设备等技术,实现易懂性的技术也在进步。在那里,语言承担着思考和传达的主要角色,但有时这种易懂性会妨碍接收方思考的多样性、扩展和深化。
如果存在难以理解的内容和易于理解的内容,人们自然会选择易于理解的。易于理解且准确的语言可以直接被学习者吸收。然后,许多人认为学习到此为止。不明白的事情变得明白了,获得了新的知识,这被认为是学习的最终阶段。但这仅仅意味着吸收了解说者的话语和想法。"学习的真实性"(注 2)是指从那里开始,个人展开新的思考,并且这些思考能够被表达出来。而且,这通常不是一个人单独完成的,而是在与他人的关系中形成的。
(注1)博す: 获得
(注2)学びの真正性: 在这里指的是真正的学习
原文
(2).ある行動を何度も繰り返せば、それが自動化され、あまりそのことに思考を向けないようになる。しかし、いつもそうなるとは限らない。たとえば、人との雑談の中で、自分の考えを率直に述べるということをいつもやっていれば、確かにそのことは自動化され、自分の考えを述べようと特に意識しないでも、気楽に自分の考えを話すような習慣ができる。(中略)
しかし、もし、率直に自分の考えを述べた時に、周囲の人から非難されたり、拒否されたりするということが繰り返されると、多くの場合、率直に話すと自分にマイナスになるという考えが起こって、率直に話すという行動に自分でプレッシャーをかけるようになる。何回もプレッシャーをかけていると、プレッシャーをかけること自体が自動化して、自分では行動の結果を特に予期することなしに、何となく、率直に発言することが少なくなり、おとなしくなるといった変化が起こってくる。
このような現象を行動の抑制の自動化という。
行動の抑制の場合も、それが自動化すればするほど、思考の果たす役割は少なくなるのだが、思考の仕方や内容によって抑制の度合いは変わってくる。たとえば、自分の述べようとする意見について、何回も繰り返し考えていると、だんだん抑制が弱まってきて、気楽に発言できるようになることもあり、逆に、考えれば考えるほど、発言後のいやな予想と結びつき抑制が強まったりもする。このように、行動の抑制に対しても、暗示とまではいかないが、思考が影響を及ぼすのである。
译文
(2). 当我们反复进行某项行动时,它会变得自动化,我们不再需要特别思考就能完成。然而,并非总是如此。例如,在与人闲聊时,如果我们总是坦率地表达自己的想法,确实,这种行为会变得自动化,我们甚至不需要特别有意识地去表达自己的想法,就能轻松地谈论自己的看法。(中略)
但是,如果每次坦率地表达自己的想法时,都会遭到周围人的批评或拒绝,那么在多数情况下,人们会开始认为坦率地说话对自己不利,从而在表达想法的行为上给自己施加压力。反复施加压力后,施加压力的行为本身也会变得自动化,以至于在没有特别预期行动结果的情况下,不知不觉中,坦率发言的次数减少,变得更为内向和安静。这种现象被称为行为抑制的自动化。
即使是在行为抑制的情况下,随着它变得越来越自动化,思考所起的作用也会减少,但是思考的方式和内容会影响抑制的程度。例如,如果我们反复思考自己想要表达的意见,抑制可能会逐渐减弱,最终能够轻松地发言;相反,思考越多,与发言后的不愉快预期联系起来,抑制可能会变得更强烈。因此,即使不是暗示,思考也会对行为抑制产生影响。
原文
(3).「教師と生徒」「師と弟子」は、位相(注 1)は似ているがまったく質の異なるものだ。弟子は師を選べるが、生徒は教師を選べない。師も弟子を選べるが、教師は生徒を選べない。師はいわば間有の独りの人だが、教師はたくさんいる中の偶然的な一人である。「師と弟子」は「教師と生徒」の煮つめられた(注 2)範型(モデル)ではない。「教師と生徒」は近代のものだが、「師と弟子」は思想(宗教)や武術や技能や芸術の世界には昔からあったもので、「特別に卓越した人」からその「優れたもの」を真摯に学ぼうとするごく特殊な個別的なつながりである。「師と弟子」の場合、弟子は何を学ぼうとしているかははっきりと意識している。生徒の場合は、自分が学ぶことになる近代の膨大な知や生活や技術についてほとんど認知していない。(中略)
「教師と生徒」は私(個人)と私(個人)のつながりではなく、公(社会的役割)と公(社会的役割)の関係であり、心的なつながりは二次的なものである。個人と個人が求め合って結びついたものではなく、社会システムに媒介されたつながりである。それに対して、「師と弟子」はもともと個人的なつながりであり、「求めるもの」「到達すべきもの」「語るべきもの」を共有している。かなりの心的部分が同志的につながっていると考えられよう。「教師と生徒」のつながりの目的は、子ども(生徒)の市民(個人)形成に還元されるものであり、「師と弟子」というような濃い密度のつながりに昇華する(注 3)ことは通常考えられない。
(注 1)位相: ここでは、関係性
(注 2)煮つめられた: ここでは、究極的な
(注 3)昇華する: ここでは、高まる
译文
(3).「教师与学生」「师傅与徒弟」在形式(注 1)上相似,但实际上却是性质完全不同的关系。徒弟可以选择师傅,但学生不能选择教师。师傅也可以选择徒弟,但教师不能选择学生。师傅可以说是独立的个体,而教师是在众多教师中的一个偶然存在。「师傅与徒弟」并不是「教师与学生」关系的终极形式(注 2)。 「教师与学生」是近代的产物,而「师傅与徒弟」则存在于思想(宗教)、武术、技能和艺术等领域,是一种从「特别卓越的人」那里真挚地学习「优秀事物」的非常特殊的个别关系。「师傅与徒弟」的情况中,徒弟清楚地意识到自己想要学习什么。而学生则几乎不了解自己将要学习的近代庞大知识、生活和技术。(中略)
「教师与学生」并非个人与个人之间的联系,而是公(社会角色)与公(社会角色)之间的关系,心灵上的联系是次要的。这不是个人与个人因需求而结合的关系,而是通过社会系统媒介的联系。与此相对,「师傅与徒弟」原本就是个人之间的联系,他们共同拥有「追求的东西」、「应达到的目标」和「应讨论的内容」。可以认为,在很大程度上,他们的心灵部分是同志式的联系。「教师与学生」之间的联系目的是归结为孩子的(学生)公民(个人)形成,通常不会提升到「师傅与徒弟」那样深厚的关系(注 3)。
(注 1)位相: 在这里指的是关系性
(注 2)煮つめられた: 在这里指的是终极的
(注 3)昇華する: 在这里指的是提升
原文
地球の長い歴史の中で生物は進化と分化をし、生物種の数は基本的には増える傾向にある。地球上の生物の種類が急激に増えたのが、カンブリア紀と呼ばれる約五億年前のことで、生物種の「ビッグバン」と呼ばれることもある。だが、その後生物の歴史の中では、過去五回、生物種の数が急激に減少する「大絶減の時代」があったことが化石の分析などから分かっている。(中略)
現在確認されている種の絶滅は、ほんの氷山の一角である。多様な生物が生息している熱帯林が減少する速度からすると、年間に数千万種のうち二万七千種が絶滅していると推定されるとの研究結果が報告されている。現代は地球の歴史の中で六回目の生物の大絶減時代だと言えるのだ。
六回目の大絶滅時代は、過去の五回と多くの点で異なる。一つは生物が絶減する速度が非常に速いということだ。化石の分析などから推定された自然界での生物絶滅の速度は百万種に対して年間に一~二種というペースだ。多くの研究は、現在の生物絶滅の速度は自然に起こる生物絶滅の速度の百~千倍で、その速度はどんどん速くなっていると指摘している。今回の絶滅が、ほとんどが人間活動が原因で起こっているという点も過去と大きく異なる。自然に起こる絶滅は止めることはできなかった。だが、今回の大絶滅は人間の行動パターンが変われば起こることはなかった。逆に言えば、人間が行動を改めれば、絶滅を食い止めることができるかもしれないということになる。
過去の大絶滅の後では、恐竜が減った後で哺乳類が栄えるようになったように、ある種の生物がいなくなったことで、他の生物が生息地を広げることができるようになり、その後比較的短時間のうちに種の数は増加に転じている。 だが、今回の大絶滅の場合は、速度が速いために生物が変化について行けない可能性がある。しかも、新たな生物が生まれる「ゆりかご」となるような湿地や熱帯林、浅い海などの場所は、人間の開発行為によって破壊され、汚染されている。大絶滅からの復活につながる生物進化の場も、人間が奪っている可能性が高い。今この地球上で起こっている「第六の大絶滅」は、過去の五回とは質的に大きく異なり、地球の生態系にとって取り返しのつかないものとなる可能性が否定できない。
現在のペースで熱帯林やサンゴ礁、湿地などが破壊されたら、生物種の絶滅や生物多様性の損失は今後も急速に進むことが心配されている。しかも、今世紀半ばくらいには、地球温暖化の進行が生物種の絶滅に拍車を掛けることになることも懸念されている。このままでは、地球の長い歴史の中で例がないほど生物多様性の減少が著しい、傷ついた地球を次世代に引き渡すことになってしまうのである。
(注)ゆりかご:ここでは、生物の生育に適した環境
译文
在地球漫长的历史进程中,生物经历了进化和分化,生物种类总体上呈现出增加的趋势。地球上生物种类急剧增加发生在约五亿年前的寒武纪,有时被称为生物种类的“大爆炸”。然而,在生物的历史中,之后发生了五次生物种类数量急剧减少的“大灭绝时代”,这一点通过化石分析等研究已经为人所知。(中略)
目前确认的物种灭绝只是冰山一角。考虑到热带雨林中生物多样性的减少速度,据研究报告估计,每年有二万七千种生物从数千万种中灭绝。可以说,现代是地球历史上的第六次生物大灭绝时代。
第六次大灭绝时代与前五次在许多方面都有所不同。其中一个特点是生物灭绝的速度非常快。通过化石分析等推断出的自然界生物灭绝速度是,每百万种生物中每年有一到两种的速度。许多研究指出,当前生物灭绝的速度是自然发生的生物灭绝速度的一百到一千倍,并且这个速度还在不断加快。这次大灭绝与过去不同的一点是,几乎都是由人类活动引起的。自然发生的灭绝是无法阻止的。但是,这次大灭绝如果人类改变行为模式,本可以不发生的。换句话说,如果人类改变行为,我们可能能够阻止灭绝。
在过去的大型灭绝之后,例如恐龙减少后哺乳动物开始繁荣,某种生物的消失使得其他生物能够扩大栖息地,之后在相对较短的时间内物种数量开始增加。
然而,在这次大灭绝的情况下,由于速度太快,生物可能无法适应变化。此外,作为新生物诞生的“摇篮”——如湿地、热带雨林和浅海等地——正因人类的开发行为而遭到破坏和污染。生物进化以恢复大灭绝的可能性,也被人类夺走的可能性很高。目前地球上正在发生的“第六次大灭绝”与前五次在本质上大不相同,有可能对地球生态系统造成无法挽回的影响。
如果按照目前的速度继续破坏热带雨林、珊瑚礁和湿地等,生物种类的灭绝和生物多样性的损失将迅速加剧,这让人担忧。此外,预计到本世纪中叶,全球变暖的进程将加速生物种类的灭绝。如果这样下去,我们将把一个生物多样性减少极为严重的、受伤的地球传递给下一代,这是前所未有的。
原文
例えば、3年間ずっとノ-ミスでやってきた論田くんが、はじめてミスを出した。
3年前からずっとその仕事ぶりを観てきた上司と、異動していきなり論田くんのミスに出くわした上司と、論田くんへの印象は同じだろうか?
両者のミスの「情報占有率」が違う。つまり、3年間のつきあいの中で、ミスが占める割合と、たった1回初めて論田くんと接した中で、ミスが占める割合と。
相手は、あなたが過去からずっと積み上げてきたすべての情報で、あなたを判断するのではない。結局は、そのとき相手が持っている情報だけで判断される。その中で、いい情報の占める割合が多ければ「いい人だ」となる。
あなたが「優しい人」で10年間怒ったことがなかったとしても、10年ぶりに怒ったとき、たまたま出会った初対面の相手にとっては、それが100%だ。あなたを「恐(こわ)い人」だと思う。
自分にふさわしい「メディアカ」を相手の中に刻むために、ちょっと「情報占有率」を意識してみるといい。 コミュニケーションでは、出会いからはじまって、相手から見たあなたの「メディアカ」が決まるまでの間が肝心だ。つまり、初めの方が慎重さがいる。ここで、かっこつけるのでもなく、でも、あなた以下にもならず、等身大(注 1)のあなたの良さが伝わるのが理想だ。
いつも質の高い仕事をしているなら、はじめての仕事先に対して、決していつもの質を落としてはいけない。ふだん静かな人なら、初対面の相手にも、奇(注 2)をてらったりせず、普段どおり静かにしていればいい。自分にうそのないふるまいをする、ということは、初対面の相手にこそ大切だ。
さて、ここで問題なのは、ふだんとても穏やかなあなたが、その日はたまたま嫌なことが重なり、攻撃的になっている場合だ。自分にうそのないということで、相手にきついことを言ってしまったらどうだろう。あなたにとっては、年に1回の、「たまたま不機嫌な日」でも、相手にとっては、あなたに関する情報の100%になる。
初対面の相手、まだ付き合いの浅い相手には、少し慎重になって考えてほしい。
何が、自分にうそのないふるまいなのか?自分の正直な姿を伝えるとはどういうことか?
毎日99%穏やかなあなたなら、1%の異常よりも、いつもの穏やかさを伝えるほうが、結局は、正直な姿を伝えている。相手の中に、あなたの実像に近い「メディアカ」が形成されるからだ。初対面の相手にこそ、平常心であること、普段どおりにやることが大切だ。
(注 1)等身大の: 誇張のない
(注 2)奇をてらう: 変わったことをして、他人の気をひこうとする
译文
例如,论田君一直工作无误持续了3年,但终于犯了一个错误。
观察论田君工作表现3年的上司和突然遇到论田君犯错的新上司,他们对论田君的印象会相同吗?
两者的“信息占有率”是不同的。也就是说,在3年的相处中,错误所占的比例,与仅遇到一次论田君犯错时,错误所占的比例是不同的。
对方并不是根据你过去积累的所有信息来判断你的。最终,是根据对方当时所拥有的信息来做出判断。在这些信息中,如果好的信息占多数,那么你就会被认为是“好人”。
即使你是一个“温柔的人”,10年来从未发过脾气,但在10年后的某一天突然发怒时,偶然遇到的初识之人会认为那是100%的你。他们可能会认为你是一个“可怕的人”。
为了在对方心中留下适合自己的“印象”,稍微意识到“信息占有率”是有好处的。
在沟通中,从相遇开始,直到对方对你的“印象”形成之前,这段时间至关重要。也就是说,在开始时需要更加谨慎。在这里,既不要装模作样,也不要低于自己,理想的是传达出真实的你。
如果你总是提供高质量的工作,那么对于第一次合作的客户,绝不能降低你平时的标准。如果你平时是个安静的人,在初次见面的对象面前,也不需要刻意表现,保持平时的安静就好。在初识的人面前,保持真实的自己是非常重要的。
现在的问题是,如果你平时非常温和,但那天恰巧心情不好,表现得很有攻击性,怎么办?如果你坚持真实,对对方说了些尖锐的话,那又会怎样?对你来说,可能是“偶尔心情不好的一天”,但对对方来说,这可能成为关于你的全部信息。
对于初识的人,或者交往尚浅的人,需要稍微谨慎一些,多考虑一下。
什么是不欺骗自己的行为?如何传达自己真实的面貌?
如果你每天99%的时间都是温和的,那么比起1%的异常,传达你平时的温和更是在传达真实的自己。因为在对方心中,会形成接近你真实形象的“印象”。对于初识的人,保持平常心,做自己平时的事情才是最重要的。
(注 1)等身大的: 不夸张的
(注 2)刻意表现: 做出不同寻常的事情,以吸引别人的注意
原文
A
変化の激しい時代に必要な頭の使い方というと、できるだけ多くの情報を集めて、できるだけ正しく未来を予測するといったことを、イメージする人は少なくないでしょう。しかし、多くの情報を集めても、世の中が予想もしない形で変わると、それらがあまり役に立たなくなってしまう可能性があります。つまり、変化の時代とは、将来が見通しにくい時代でもあるのです。
このような時代に必要なのは、ただ情報をかき集めることではなく、自分なりの発想や、自分なりの考え方を組み立て情報を処理することです。
(中略) 情報収集が劇的に楽になった分、「考える」ウエイトはますます重くなっています。いわば、みんなと同じ情報を材料にしながら、いかに新しく、人とは違う発想で、面白いことを考えつくか、そういう点での「考える」力がより求められているのです。
B
今は多くの情報があふれ、インターネットで何でも調べられるようになった。しかしただ待っているだけでは何も手に入らない。あくまで自分から情報を求めていかなければ、あっという間に取り残されてしまう。
技術が高度に発展した現代では、ゼロから何かを生み出したり、人とは異なるものを考え出すのは難しいと思うかもしれません。しかし、独自の視点を持って既存のものやアイデアを組み合わせていくことで、これまでになかったものを創造することは可能だ。そのためにもやはり、土台となる情報が必要だ。現代は、どれだけ多くの情報を手にしているかで決まるといっても過言ではない。
译文
A
在变化剧烈的时代,许多人想象中需要的思维方式是收集尽可能多的信息,并尽可能准确地预测未来。然而,即使收集了大量信息,如果世界以人们无法预料的方式发生变化,这些信息可能就变得不太有用。也就是说,变化的时代也是一个难以预见未来的时代。
在这样的时代,需要的不是单纯地收集信息,而是构建自己独特的想法和思考方式来处理信息。 (中略) 随着信息收集变得极其容易,思考的重要性也随之增加。可以说,在拥有相同信息的基础上,如何产生新颖且与众不同的想法,如何想出有趣的事情,这种思考能力正变得越来越重要。
B
现在,信息泛滥,互联网上可以查到任何东西。然而,仅仅等待是得不到任何东西的。我们必须主动去寻求信息,否则很快就会被时代抛弃。
尽管在高度发达的技术现代社会中,从零开始创造某物或想出与众不同的东西可能看起来很难,但通过拥有独特的视角并将现有的东西和想法结合起来,创造前所未有的事物是可能的。为此,基础信息仍然是必要的。可以说,在现代社会,拥有多少信息几乎决定了所有事情。
本文作者:yowayimono
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