原文
人間は、目の前の物やできごとを、自分の目だけで見ているとか、感じているというように思うかもしれないが、実際には、脳の中では、同時に記憶の中から同じような情報を引っ張り出して、素早く比較、検討しているのだ。つまり、勘がいいとか、察しがいいというのは、目で見たこと、聞いたことだけでものごとを判断しているわけではなく、想像力が発達しているということになる。脳の記憶をいかにうまく使いこなしているかという差が表れてくるのだ。 (米山公啓 『「頭がいい」とはどういうことか』による)
译文
人们可能会认为,自己只是用眼睛看到眼前的事物或事件,并感受到它们。但实际上,在大脑中,同时会从记忆中提取类似的信息,并迅速进行比较和评估。也就是说,所谓直觉好或感觉敏锐,并不是仅仅依靠眼睛看到或耳朵听到的事情来判断事物,而是想象力发达的表现。如何巧妙地运用大脑的记忆,这种差异就会显现出来。 (摘自米山公啓《“聪明”是什么意思》)
原文
(株)中田清掃社 総務課 田山広
毎度、お引立ていただきありがとうございます。 さて、11月5日にご注文いただきました品を、本日、添付の納品明細書通り発送いたしました。 なお、「床用洗剤スリ-ン」につきましては、申し訳ございませんが、在庫不足のため、50箱のみの発送とさせていただきました。未発送分は入荷次第(2週間後の予定)発送いたします。本日発送の商品が到着しましたら、大変お手数をおかけしますが、一緒にお送りした品物受取書に押印のうえ、返信用封筒にてお送りくださるようお願い申し上げます。
添付書類:納品明細書(写L)1通
(株)キイ卜 佐川 明人 営業課長
译文
中田清洁公司 总务课 田山广
每次都承蒙您的关照,非常感谢。 关于您在11月5日订购的商品,我们已于今日按照附件的交货明细单进行了发货。 另外,关于“地板清洁剂スリ-ン”,非常抱歉,由于库存不足,我们只能发送50箱。未发货的部分将在到货后(预计两周后)进行发货。今日发货的商品到达后,麻烦您在随附的收货单上盖章,并使用回邮信封寄回,非常感谢。
附件:交货明细单(写L)1份
(株)キイ卜 佐川 明人 营业课长
原文
專門家・研究者やマスコミには、ごみ問題や斜面林や里山(注)などの破壊といった身近な環境問題を注視せず、いくつかの代表的な環境問題ばかりを取り扱う傾向が強い。マスコミなどが注目する環境問題に取り込んでいることが、專門家の專門性を誇示し、專門家としてのステータスを維持させることにつながっているかのように見える。環境問題が話題性の高いものに特化されることは、日常的な環境問題が大部分の專門家・研究者から無視され、放置されることになる。 (御代川貴久夫・関啓子「環境教育を学ぶ人のために」による)
(注)里山(さとやま):人家の近くにあって、人の生活と関係が深い森林や山
译文
专家、研究人员和媒体往往忽视诸如垃圾问题、斜面林和里山(注)破坏等身边的环境问题,而倾向于处理一些代表性的环境问题。媒体等关注的环保问题似乎在夸耀专家的专业性,并维持其作为专家的地位。环境问题被特化为具有高话题性的问题,导致大多数专家和研究人员忽视和忽视日常环境问题。 (摘自御代川贵久夫和关启子《为学习环境教育的人》)
(注)里山(さとやま):指靠近居民区,与人们生活密切相关的森林和山地
原文
人は一人では生きられない。よほどの変人か仙人(注1)のような人でなければ、人は世の中と無関係には生きられない。しかも、その世の中というものは固定されたものではなく、ものすごい速さで形を変えていて、それにいちいち適応していくのには、体力も技術も精神力も要る。そんな化け物(注2)のような世の中から自分を守るために、一人きりで孤高の城に籠城すれば(注3)、やがて孤独に自滅する。その矛盾をどうしていったらいいのだろう。 (山本文緒『結婚願望』による)
(注1)仙人:世の中と離れて生きる神のような人 (注2)化け物:怪物 (注3)孤高の城に籠城する:ここでは、外部との接触を一切持たずに自分の殻に閉じこもる
译文
人不能独自生存。除非是极其古怪的人或仙人(注1),否则人无法与社会毫无关联地生活。而且,这个社会并不是固定不变的,它以惊人的速度变化着,要适应它,需要体力、技术和精神力。为了从这样一个怪物(注2)般的社会中保护自己,如果一个人独自躲进孤高的城堡(注3),最终会因孤独而自我毁灭。如何解决这个矛盾呢? (摘自山本文緒《結婚願望》)
(注1)仙人:指脱离尘世生活的神一般的人 (注2)化け物:怪物 (注3)孤高の城に籠城する:这里指完全不与外界接触,封闭在自己的壳里
原文
以下は、市民向け講座の講師を務めた大学教員の話である。
正直なことをいうと、成人した人々の集まりである N〖 女化センタ-で、美術史の話をするのは、最初はかなり疑わしい気分だった。というのは、多かれ少なかれ社会に出たり、家庭を持ったりした経験があって、それなりの見識なり專門なりを持ている人々が、いまさら「役にも立たぬ」過去の芸術に、それほど深い興味を持つだろうなどとは思えなかったからである。また、仮に持ったとしても、それは、自分の好みに合った美術品を、楽しんで眺める、といった種類のものかと思っていた。ところが、それが①大変な間違いだということがわかった。
ひたひたと押し寄せてくる、偽りでない、深い興味が近頃の大学生にこそ見つけることのできないものであった。二十歳になるや否やの若者たちは、多くの場合、単位をとるためにそこにいるのであって、どこまで心から興味を抱いてそこにいるのか全く疑わしい。(中略) ②市民講座の熱心さは、かつて、喜びもなく学生時代を過ごしてしまった人々の、いわばノスタルジ-(注)の場なのであるうか。失われて初めて、その喜びを知ったというわけなのか。私はそう思うようになった。
ところが、それもまた、間違いだということがわかった。1年と数カ月講座を続けた今は、あることがわかったのである。つまり、「芸術は、子供にはわからない」ということである。芸術とは、人生の経験であり、憧れであり、また失望と悲哀である。一片の絵にも、人生が語られている。人生を生きていないものに、絵がわかるわけはない。もちろん、若者でも、ある程度はわかる。しかし、本当に深くわかるのは、すでに生きた人々である。
(若桑みどり『レット・イット・ビ-』による)
(注)ノスタルジ-:過ぎた日々を懐かしがること
译文
以下是一位在市民讲座担任讲师的大学教员的话。
老实说,在成人聚集的N〖女性中心讲美术史,一开始我感到相当怀疑。因为我想,或多或少有社会经验和家庭经验、有一定见识或专业知识的人,不会对现在看来“无用”的过去的艺术有那么深的兴趣。即使有兴趣,也可能是欣赏自己喜欢的艺术品,仅此而已。然而,我发现①这是一个很大的错误。
那种扑面而来的、真实的、深刻的兴趣,是最近的大学生所没有的。二十岁左右的年轻人大多是为了学分而坐在那里,他们到底有多少是真心感兴趣的,完全值得怀疑。(中略) ②市民讲座的热情,是否可以说是那些曾经没有快乐地度过学生时代的人的怀旧之地呢?失去了才知道那种快乐吗?我开始这么想。
然而,我发现这也是一个错误。经过一年多的讲座,我明白了一件事。那就是“艺术对孩子来说是难以理解的”。艺术是人生的经历、憧憬,也是失望和悲哀。一幅画中蕴含着人生。没有经历过人生的人是无法理解画的。当然,年轻人也能理解一些。但真正深刻理解的是那些已经经历过人生的人。
(摘自若桑みどり《レット・イット・ビ-》)
(注)ノスタルジ-:怀念过去的时光
原文
以下は、国立国会図書館についての新聞記事である。
8月上旬、地下1階に用意された大型保温テントに 66 箱の段ボ-ルが運びこまれた。脇に置いた6本のボンベから濃度 60%の二酸化炭素ガスが流し込まれた。
段ボ-ルの中身は、個人や団体が所蔵していた 1930~40年代の和紙製の書籍や小冊子だ。同図書館資料保存課の中島尚子さんは「室温 25 度、濃度 60%で2週間燻蒸(注 1)すると、成虫はもちろん、目に見えない卵まで駆除できます」と話す。
同図書館の書庫の大半は閉架(注2)で、見学者以外の一般人は立ち入る機会がない。これまで虫食い被害は数件しかなく、外部からの害虫の侵入はあまり警戒されてこなかったという。
ところが、2006年に館内一齐調査をすると、過去に古書店から購入した和紙の卷物(注3)2本が、保管ゲ-ス内で繁殖した甲虫の一種「シバンムシ」の幼虫に食べられているのが見つかった。
07年には書庫内でカビが発生し、数千冊の本に被害が出た。カビは本そのものを傷めるだけでなく、虫の餌にもなる。調査の結果、外部から持ち込まれる本や、ホコリに付着した虫やカビが、図書館内で増殖する可能性があることがわかった。
これまでは、虫が見つかった本を取り出し、化学薬品で駆除してきた。二酸化炭素は人や環境への影響も少なく、低費用で済む。書庫に入れる前に、段ボ-ルごと一斉除虫できるのが最大のメリットという。
同図書館は、こうしたノウハウをホ-ムペ-ジや論文で国内外に紹介している。
(朝日新聞2010年8月17日付夕刊による)
(注1)燻蒸する:ここでは、ガスや煙で殺菌殺虫を行う (注2)閉架:利用者に書棚を開放せず、請求に応じて本を取り出して見せるシステム (注3)卷物:長い紙に書かれて、巻いて保管された昔の書物
译文
以下是关于国立国会图书馆的新闻报道。
8月上旬,66箱的纸箱被运到了地下一楼准备的大型保温帐篷里。旁边放置的6个钢瓶中,浓度为60%的二氧化碳气体被注入。
纸箱里装的是个人或团体收藏的1930-40年代的和纸书籍和小册子。国立国会图书馆资料保存课的中岛尚子女士说:“在室温25度、浓度60%的条件下熏蒸(注1)两周,成虫自不必说,连看不见的卵也能驱除。”
该图书馆的书库大部分是闭架(注2),普通参观者以外的人没有进入的机会。过去虫害只有几起,对外部害虫的侵入并没有太警惕。
然而,2006年进行馆内全面调查时,发现过去从古书店购买的2本和纸卷物(注3)被保管架内繁殖的甲虫的一种“シバンムシ”的幼虫吃掉了。
2007年,书库内发生了霉菌,数千本书受损。霉菌不仅会损伤书籍本身,还会成为虫子的食物。调查结果显示,外部带入的书籍或附着在灰尘上的虫子和霉菌有可能在图书馆内繁殖。
以前,发现虫子的书会被取出,用化学药品驱除。二氧化碳对人和环境的影响较小,成本也低。在放入书库前,可以对整个纸箱进行统一除虫,这是最大的优点。
该图书馆正在通过主页和论文向国内外介绍这些经验。
(摘自朝日新闻2010年8月17日夕刊)
(注1)燻蒸する:这里指用气体或烟雾进行杀菌杀虫 (注2)閉架:不对使用者开放书架,根据请求取出书籍展示的系统 (注3)卷物:写在长纸上,卷起来保管的古代书籍
原文
文章を書こうとすると、私たちの心の闇に一つの言葉が光る。その言葉がおほるけな(注)内容を象徴していて、そこから次の言葉が生まれる気配が感じられる。紙の上にその言葉を書きとめてみる。その言葉によってはじめて自分が何を書こうとしているかが、わかりはじめるのだ。「①混沌からことばへ」とはこの場面を指している。人間の言葉が本当に生きているのはここである。
私たちは、ペンが書いてゆくにつれて考える。「考える」とは、音声にならない言葉をひとりごとのように口の中で言うことだ。その言葉をペン書きとめる。書きとめた言葉がさらに次の思考を呼ぶ。これが文章表現の「現場」だ。
文章を書いた経験をふりかえれば、だれでも思いあたることだが、書き上げた文章は必ず、自分がはじめに漠然と②予感していた内容とは違ったものになっている。心の闇に一つ二つで危うく連れなって光っていた言葉が漠然と象徴していた内容と、複雑な思考を経て言葉の秩序によって組織され他人にも理解されるようになった文章との違いが、そう感じさせるのだ。
私たちは自分の考えたことを文章に表現しようとすることによって、実際には、考えていた以上のことをその表現された文章の内に発見する。これが文章表現における発見である。書かれた内容(世界)についての発見と、それが自分の中から出てきたという驚き。文章を書くということは、言葉によって、世界を知り自分を知るという二つの驚きを同時に経験することでもある。
(梅田卓夫,清水良典,服部左右一,松川由博编『高校生のための文章読本』による)
(注)おほるけな:はっきりしない
译文
当我们想要写文章时,我们心中的黑暗中会闪现出一个词语。这个词语象征着模糊(注)的内容,并让人感觉到下一个词语即将诞生。试着把这个词语写在纸上。正是通过这个词语,我们才开始明白自己想要写什么。“①从混沌到词语”指的是这个场景。人类的语言真正活在这里。
我们随着笔的书写而思考。“思考”是指在口中像自言自语一样说出无声的词语。把这些词语用笔记录下来。记录下来的词语会引发进一步的思考。这就是文章表达的“现场”。
回顾写文章的经历,每个人都会想到,完成的文章总是与最初模糊地②预感的内容不同。心中一两个词语在黑暗中危险地闪烁,象征着模糊的内容,经过复杂的思考,通过词语的秩序组织起来,变得可以被他人理解,这种差异让人有这种感觉。
我们试图通过文章表达自己的想法,实际上,在表达的文章中会发现比思考的更多的东西。这就是文章表达中的发现。对书写内容(世界)的发现和对自己内心产生的惊讶。写文章是通过词语同时体验了解世界和了解自己的两个惊讶。
(摘自梅田卓夫,清水良典,服部左右一,松川由博编《高中生的文章读本》)
(注)おほるけな:不明确的
原文
以上は、筆者が著書の中で「哲学の役割」について書いたものである。
ここで大切なのは、とりわけ科学の意義と限界をしっかりと見定めて、人間的知の全体をほんとに見渡しうる哲学的知の立場を我がものとすることにある。というのは、科学的知は、二つの限界を持ち、その限界内でしか意義を持たないからである。
一つには、科学的知は、対象を突き放して、第三者的立場で、自分に関わりのない客観的事象として眺め、しかも必ずそのつど、特定の観点からだけ対象を扱い、自分が関心を持つ側面だけを取り上げ、それ以外の局面を捨象(注)し、決して対象の全体を見ようとはしないのである。だから、科学が進むと、細分化が必至となり、隣の研究室でやっていることが、お互いにはまったく分からなくなる。専門化と特殊化が、科学の運命であり、いかに学際化が叫ばれても、根本的には①この傾向には歯止めが利かない。それはちょうど、近代的病院で、病気を扱う諸部門が、外科や内科等々として、細かく分かれ、人間全体を扱ってくれる部署が存在しないのと、同様である。
二つには、科学的知は、対象を、自分と無関係な事柄として扱う客観性がその特色をなしているので、そこでは、私たちが、自己として、主体的に決断して実践的に生きてゆく行為の問題を、本質的に扱うことができないのである。というのも、ある状況のなかで、いかに生きるべきかをよく考えて、決断し、行為してゆくためには、来し方行く末をよく熟慮して、もはや無い過去と、いまだ無い将来とを視野に収めながら、現在の状況のなかに突き入ってゆかればならない。しかし、そのような無いものを視野に収めながら、記憶と期待の熱い思いを抱きつつ行為することは、知覚的に有る現在の事実に検証されることによってのみ確実性を得ようとする科学の実証性とは、まったく別個の事柄だからである。客観的な事実確認のみを大事と考える科学の次元と、人生の岐路に立って、右すべきか左すべきかに思い悩む行為者の立場とは、別個の事柄である。②科学は、いかに生きるべきかという後者の問題を、本質的に扱うことができないのである。
したがって、科学とは別に、存在の全体を視野に収め、世界のあり方の原理的全体を考慮して、世界観の知を育むと同時に、そのなかで、人間はいかに生きるべきであるのかという、人間の主体的な行為の根本を考究して、人生観の知を形成するところに、哲学的な知の本質的な成立根拠があることになる。哲学が愛し求める真実の知とは、こうした人生観・世界観の根本的知にほかならない。
(二郎『現代の哲学』による)
(注)捨象(しやしよう)する:捨て去る
译文
以上是笔者在其著作中关于“哲学的角色”的论述。
这里重要的是,特别是要明确科学的意义和局限,真正掌握能够纵观人类知识整体的哲学知识立场。这是因为科学知识有两个局限,只有在这些局限内才有意义。
首先,科学知识将对象推开,以第三者的立场,将其视为与自己无关的客观现象,而且每次都只从特定的观点处理对象,只关注自己感兴趣的方面,舍弃其他方面(注),决不试图看到对象的整体。因此,随着科学的进步,细分化是必然的,相邻实验室的研究内容彼此完全不了解。专业化和特殊化是科学的命运,无论多么呼吁跨学科研究,从根本上来说,①这种趋势是无法阻止的。这就像现代医院中,处理疾病的各部门如外科、内科等细分化,没有部门处理整个人体一样。
其次,科学知识的特征是将对象视为与自己无关的事物,因此在那里,我们无法从根本上处理作为自己主体,做出决定并实践地生活的问题。因为要在某种情况下,认真思考如何生活,做出决定并行动,必须仔细考虑过去和未来,将已经不存在的过去和尚未存在的未来纳入视野,深入当前的情况。然而,在视野中纳入这些不存在的事物,怀抱着记忆和期待的热情行动,这与科学通过感知现有的当前事实来获得确凿性的实证性是完全不同的事情。重视客观事实确认的科学层面与站在人生岔路口,为应该向右还是向左而烦恼的行为者的立场是完全不同的事情。②科学无法从根本上处理如何生活的问题。
因此,除了科学之外,哲学的知识本质在于将存在的整体纳入视野,考虑世界存在方式的原理整体,培养世界观的知识,同时在其内部,探究人类应该如何生活的根本,形成人生观的知识。哲学所追求和热爱的真实知识,正是这种人生观和世界观的根本知识。
(摘自二郎《现代的哲学》)
(注)捨象(しやしよう)する:舍弃
原文
チーム全員でものごとを成すというのは本当に面白いが、ときにはチームが一つにまとまらず、 あるメンバーが著しくチームの足並みを乱す要因になってしまうこともある。大変残念なことだが、もしそうなったら、リーダーはその現実から絶対に目を背けないことだ。
周りのメンバーからNOを突きつけられた人については、その人がどうしても変われないなら、 あなたがチームから外すことを決断する勇気もときに必要だ。
ただし勘違いしてはならない。外すという決断は、決して軽々しくしていいものではない。そもそも、周りとかみ合わない人がチームにいるというのはよくあること。それはまだ、本人に「変わる」余地がいくらでもある状態であり、まずはあなたがその人を変えていけばいい。
たとえば私は、他のメンバーの反応がよくない人ほど、対で何度も話し合うようにしている。その席では「周りがこんな不満を感じている」ということを率直に伝え、こうして話し合っていることをメンバーにもわかってもらっている。そのうえで、数か月後に周囲との関係が改善されていなければ、本人に異動を打診。それならば残念な結果になっても、周りのメンバーも納得するし、誰もが受け入れやすくなると考えているのだ。つまり、チームからあるメンバーを外すなら、外すという決断の「重み」を本人にも周囲にも感じてもらえるよう、まずあなたが正面切ってその人に何度も働きかけることが先なのだ。
译文
团队协作完成任务确实很有趣,但有时团队无法团结一致,有的成员可能会显著地扰乱团队的步伐。这是一件非常遗憾的事情,但一旦发生这种情况,领导者绝不能回避这个现实。
对于那些被团队成员明确表示反对的人,如果他们无法改变,那么你有时需要有勇气决定让他们离开团队。
但是,你绝不能误解这一点:做出让某人离开的决定绝不是一件可以轻率对待的事情。毕竟,与团队不合拍的人是常有的事。这通常意味着那个人还有很大的改变空间,首先你应该尝试去改变他们。
例如,我会特别频繁地与那些其他团队成员反应不佳的人进行一对一对话。在这些对话中,我会坦率地传达“周围的人感到这样的不满”,并且让团队成员明白我们正在进行这样的对话。如果几个月后,他们与周围人的关系仍未改善,我会向他们提出调动的建议。这样一来,即使结果令人遗憾,其他团队成员也会理解,大家也会更容易接受。也就是说,如果你决定让某个成员离开团队,你应该首先正面地多次尝试与那个人沟通,让他们和周围的人都能感受到这个决定的“重要性”。
本文作者:yowayimono
本文链接:
版权声明:本博客所有文章除特别声明外,均采用 BY-NC-SA 许可协议。转载请注明出处!